一日目 リルケ『若き詩人への手紙 若き女性への手紙』 [読書記録・日記]
さて、前の投稿で予告した、好きな文章を紹介する一日目はリルケの『若き詩人への手紙 若き女性への手紙』です。
このリルケの本は、前の記事で紹介したウルフの『デジタルで読む脳x紙の本で読む脳』で紹介されていて、思い出しました。ずっと前に読んで、すっかり忘れていましたが、読みたくなり、いまごく最初のあたりを読んでいます。
「あなたは御自分の詩がいいかどうかをお尋ねになる。あなたは私にお尋ねになる。前にはほかの人にお尋ねになった。あなたは雑誌に詩をお送りになる。ほかの詩と比べてごらんになる、そしてどこかの編集部があなたの御試作を返してきたからといって、自信をぐらつかせられる。では(私に忠言をお許し下さったわけですから)私がお願いしましょう、そんなことは一切おやめなさい。あなたは外へ眼を向けていらっしゃる。だが何よりも今、あなたのなさってはいけないことがそれなのです。誰もあなたに助言したり手助けしたりすることはできません、誰も。ただ一つの手段があるきりです。自らの内へおはいりなさい。あなたが書かずにいられない根拠を深くさぐってください。(新潮文庫、高安国世訳、p.14)」
この本は、若い詩人がリルケに自らの詩を送り、その感想を求めた手紙への返信で、その後も往復書簡が交わされる。リルケのこの書籍の美しく素敵なところは、とても愛に溢れているところだと思う。だから、この本から始めた。
厳しいことも言うのだけれど、基本的にとても相手を尊重していて、かつ、文章がとても美しい。
たとえば、リルケがある本をすすめる時には
「そこには理解し、把握し、経験されなかったものは何一つなく、追憶の微かにふるえる余響の中に認められなかったものは何一つないのです。どんな体験も決して無意味すぎはせず、どんな小さな出来事も運命のように拡がって行き、運命自体、一本々々の意図が際限もなくやさしい手によって織り込まれ、他の一つの糸のそばに置き並べられ、他の幾百の糸によって支えられ、になわれるようになる驚嘆すべき、ひろびろとした織物を見るように思われます(同書、p.22)」
という美しい比喩で伝えられる。リルケは彼が言うように「本を愛して」いて、そして同時にこの詩人を優しく慈しんでいて、その愛が伝わってくる。
最初の引用は、ウルフが指摘したオンラインでの読みとも関連するように思う。もちろん、だれかに「いいね」と言ってもらうのは嬉しいかもしれない(ちなみに私は特定の誰かにいいと言ってもらう方が多くの人にいいと言ってもらうよりはるかに嬉しい)。それに、もしかしたら、求められるところが天職ということもあるかもしれない。
けれど、リルケが言うのは「あなたは何に価値を置くのか」ということだと思う。そういうことを、ゆっくり考えてみるのも、良いと思う。これは森博嗣『夢の叶え方を知っていますか』で毎日自分の夢は何かを問いかけよう、というのと通じると感じる。もちろん、それで、いきなりこれが正解!ということは見つからないだろうが、そういうことを毎日少しずつ考えると、わりと世界は綺麗になる(見える)のではないか、と個人的には思う。
ちなみにこの投稿はゆるくながく続けることを目標にするので、同じ本が続くことや、紹介だけして何も感想が書かれないことなどもありの予定です。また、リルケも最初に指摘しているように、批評するつもりはないので、ゆるく感じるところを書いていこうと思います。
このリルケの本は、前の記事で紹介したウルフの『デジタルで読む脳x紙の本で読む脳』で紹介されていて、思い出しました。ずっと前に読んで、すっかり忘れていましたが、読みたくなり、いまごく最初のあたりを読んでいます。
「あなたは御自分の詩がいいかどうかをお尋ねになる。あなたは私にお尋ねになる。前にはほかの人にお尋ねになった。あなたは雑誌に詩をお送りになる。ほかの詩と比べてごらんになる、そしてどこかの編集部があなたの御試作を返してきたからといって、自信をぐらつかせられる。では(私に忠言をお許し下さったわけですから)私がお願いしましょう、そんなことは一切おやめなさい。あなたは外へ眼を向けていらっしゃる。だが何よりも今、あなたのなさってはいけないことがそれなのです。誰もあなたに助言したり手助けしたりすることはできません、誰も。ただ一つの手段があるきりです。自らの内へおはいりなさい。あなたが書かずにいられない根拠を深くさぐってください。(新潮文庫、高安国世訳、p.14)」
この本は、若い詩人がリルケに自らの詩を送り、その感想を求めた手紙への返信で、その後も往復書簡が交わされる。リルケのこの書籍の美しく素敵なところは、とても愛に溢れているところだと思う。だから、この本から始めた。
厳しいことも言うのだけれど、基本的にとても相手を尊重していて、かつ、文章がとても美しい。
たとえば、リルケがある本をすすめる時には
「そこには理解し、把握し、経験されなかったものは何一つなく、追憶の微かにふるえる余響の中に認められなかったものは何一つないのです。どんな体験も決して無意味すぎはせず、どんな小さな出来事も運命のように拡がって行き、運命自体、一本々々の意図が際限もなくやさしい手によって織り込まれ、他の一つの糸のそばに置き並べられ、他の幾百の糸によって支えられ、になわれるようになる驚嘆すべき、ひろびろとした織物を見るように思われます(同書、p.22)」
という美しい比喩で伝えられる。リルケは彼が言うように「本を愛して」いて、そして同時にこの詩人を優しく慈しんでいて、その愛が伝わってくる。
最初の引用は、ウルフが指摘したオンラインでの読みとも関連するように思う。もちろん、だれかに「いいね」と言ってもらうのは嬉しいかもしれない(ちなみに私は特定の誰かにいいと言ってもらう方が多くの人にいいと言ってもらうよりはるかに嬉しい)。それに、もしかしたら、求められるところが天職ということもあるかもしれない。
けれど、リルケが言うのは「あなたは何に価値を置くのか」ということだと思う。そういうことを、ゆっくり考えてみるのも、良いと思う。これは森博嗣『夢の叶え方を知っていますか』で毎日自分の夢は何かを問いかけよう、というのと通じると感じる。もちろん、それで、いきなりこれが正解!ということは見つからないだろうが、そういうことを毎日少しずつ考えると、わりと世界は綺麗になる(見える)のではないか、と個人的には思う。
ちなみにこの投稿はゆるくながく続けることを目標にするので、同じ本が続くことや、紹介だけして何も感想が書かれないことなどもありの予定です。また、リルケも最初に指摘しているように、批評するつもりはないので、ゆるく感じるところを書いていこうと思います。
2020-04-15 22:20
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