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『<現実>とは何か』を読んで [読書記録・日記]

西郷・田口の『<現実>とは何か』を読んで、備忘録を書いた。

非常に面白く、また感動した。
一読しただけでは二、三割わかったかどうか、という感じだが、備忘録に感想を書く。なかなかまとまったものを書こうとすると難しく、読み終えてからすでに一週間ほどたち、忘れていってしまうので、とりあえずまとまっていなくても書いてみよう。そのため、未読の人には不親切になってしまうが、というか主として自分用の備忘録なので既読でもわからないかもしれないが、そのうちもっとちゃんと書く予定。
一章は物理、二章は数学を淡々と論じつつ「現実」を見つめ、三章は現象学と圏論を導入してそれらを定式化し、四章と五章では私や自由を論じ実践につなげる。春夏秋冬のような本で、一・二章がしんしんと雪の降る冬、 三章が若葉が出る春、四章が行動する夏、五章が実りと冬に向かう秋のようだった。


本書を私の記憶に基づいて要約すると以下のように思う(読み返して要約すると相当時間がかかりそうだったのでお風呂の中で思い出した。多分色々抜け落ちていて、本書はもっといい本である)。
物理で有名な二重スリットの実験では、一つのスリットでは光子(粒子)で説明できていた現象が、二重スリットでは干渉効果が現れるために光を波と考えなくては説明できなくなる。つまり、粒子から波(場)へ。しかし具体的に・その度ごとに乾板に現れる(観測される)のは粒子的な描像であり(確率とは現実にとって何か)、その分布(干渉効果)を見るには個々の観測される粒子の時間の違いを無視して同じもの(一つの事象)と見なければならない。さらに、法則を見出すには複数の事象の間の同じさを見出さなければいけない。この個別のものから同じさへの飛躍がモデリング・数学・現実の構築(私たちへの現実の現れ)であるが、しかし、「個別のもの」を選ばなければ「同じさ」を見ることはできない。そのただ一つの個別のものを観測しなければ法則を見出せない。そして、個別のものを選ぶ、問う、その方法は無数にある。問い方を選び、そして具体的な個別のものが確率的に得られる。どのように問うかを選べることが自由であり、しかし問うた結果を勝手に決めることはできない。そこに、独我論でも決定論でもない、現実のあり方がある。
しかし、本書は要約には向かない本である。というか読書とは本来的に行為であり、体験であるので、実際にその本を読まなければその本は体験できないし理解できない。特に本書はそういう本である。なので、ぜひみんな読んでほしい(笑)まあ私は文章理解のための要約の実験も別の文脈でしてるけども…。

以下は内容の要約もありつつ、私の意見や気づきのメモ。
 本書では、どのように問うかを選ぶ飛躍(つまり動き)、そして個別に問うて得たものから同じさへの飛躍、それらは現在の数学あるいは現実の見えのなかでは隠されており、その隠されていること・消えることも重要だとする。この“同じさ”は圏論で書けるが、その“飛躍”(そして秘匿・後景化)は書けない。これらの飛躍(とくに後の方の)は認知科学の問題でもある。類推的理解一般、あるいは理解一般の認知の研究課題であろう。この課題についてもすでにオブジェクト認知として本書にも触れられているが(なぜ椅子がオブジェクトとして同じものとみなせるのか)、近しいところでは JAISTの日高さんの研究がちょうどここに関連すると感じた。
 そして、私自身の物語理解にも、本書の内容は関係すると思う。量子意思決定の研究にも本書は触れているが(ベイズでいい結果もありそうではあるが)、実際物語読書における理解とは解釈の重ね合わせであり、非可換な確率論の方が馴染むように考えたことが以前にある(そもそも現実の理解・構築は物語の理解・構築と相同部分が多く思える)。ただ、物語読書はただでさえ複雑な課題なので、どうやったら良いのかわからないが…しかしいまやっている文章分割や主題の推定課題でこの種の検証ができたらきっと楽しいだろう。ちょうど年初だし、ちょっと具体的に考えてみても良いかもしれない。
 また、本書は「私」という言葉を端緒に「自己」の問題にも触れていた。「私」という語はAさんもBさんも自身のことを指すときに使うことができる(自分自身を指差す射のように)。「Aさんの私」が問われた結果の粒子のようにかけがえなく存在すると同時に、「他の私」でもよかったという形で置き換え可能であることが存在する。これは、もっと言えば、このいまここにあるある一つの肉体をもった「Aという私」ですら、複数の私の重ね合わせであることも意味する。別に普通に意味での他人を想定しなくても良い。先ほどの私、あるいはこの部分の私、時空間的には分かれていない私(単位も問い方によって可変である)それらの重ね合わせとして私が存在しうる。行為主体として何を問うかを決める私も、このように様々に変化しうるのかもしれない(「私」は集団であっても良いだろう)。
 本書は私にとってはとても優しい本のように感じた。自由や私、個別のものと法則の尊重、それらが美しい理路で描かれていく。優しいが、しかし実践を求める意味で厳しい。そして優しいが、全然易しくない。またとても動的な本で、読書が本質的に体験であることを感じさせる。受動的な読書ではなく、能動的に本書は読むことで作られる。とても面白かった。

(追記:本書の序はここで読めます。)


〈現実〉とは何か (筑摩選書)

〈現実〉とは何か (筑摩選書)

  • 作者: 西郷 甲矢人
  • 出版社/メーカー: 筑摩書房
  • 発売日: 2019/12/13
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)




おまけ

行為としての読書 美的作用の理論 (岩波モダンクラシックス)

行為としての読書 美的作用の理論 (岩波モダンクラシックス)

  • 作者: ヴォルフガング・イーザー
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2005/07/23
  • メディア: 単行本



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