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三十七日目 蕭吉『五行大義』 [読書記録・日記]

三十七日目は蕭吉撰(中村璋八訳・編)『五行大義』。書き下し文と訳を。

----(引用)----
夫れ萬物は自ら體質有り。聖人類に象りて、其の名を制す。故に名を以って體を定むると曰ふ。無名は乃ち天地の始、有名は則ち萬物の由なり。其の功に因り用に渉るを以ての故に稱謂を立つ。

さて、万物には、自然に形体と性質とが具わっている。聖人はその類に象って、その名を制定した。そこで、名称は形体を定めるのだ、と言うのである。名がないのは、天地の始めの時であり、名があるのは、万物の由来によったのであり、その事物がそれぞれの功能によって働きをなすことから名称をつけたのである。
----(p.53、明治書院)----

『五行大義』は、中学のクリスマスプレゼントで買ってもらった...高い....。母が買っていた岡野玲子の『陰陽師』に、この『五行大義』の記述にそって五角形をコンパスで書くシーンがあって(一は二を生じ、二は三を生じ、三は萬物を生ず(p.149)というのから描く)、格好いい!と感動して買ってもらった。しかし当たり前だが『五行大義』は漢文であり、そして私は漢文も古文も勘で読んでいたので、ほんの部分的にしか読まなかった記憶がある。
名前がその物の特徴(たとえば赤いとか)によってよりも、効能で名付けたというのは、五行においても互いに移りあう動きを見ていたのと通底しているのだろうか。

「数を論ず」というところで、突然「数」が出てくる。
----(引用)----
凡そ萬物の始めは、無に始まりて有に復せざるは莫し。是の故に易の大極有り、是れ兩儀を生じ、兩儀は四序を生じ、四序は生の生るる所なり。(中略)其の道の明らかにし難きを明らかにするは、數に非らずして究む可からず。故に數に因りて以って之を辨ず。

數の理を顯らかにするは、猶ほ筌蹄の魚兎を取るがごとし。

(最後の文のみ訳文)
数でもって道理を明らかにするのは、筌(魚をとるやな)や蹄(兎を捕らえる罠)を方便として魚や兎を捕らえるのと同じである。
----(p.81--83)----

難しいものだから、数でやろう。数で明らかのするのは、方便だ。というのはどことなくモデル化を思い浮かべてしまう。まあそのあとは全然違うのだけれど。


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