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三十九日目 レイ・ブラッドベリ『華氏451度』 [読書記録・日記]

三十九日目はレイ・ブラッドベリ『華氏451度』。昨日アップロードできなかったので、昨日の分。

----(引用)----
 彼も挨拶をかえし、ついで「いまはなんに夢中?」
「あいかわらずイカれてるわ。雨って気持いいから、こうやって降られながら歩いてるの」
「ぼくは好きじゃないね」
「やってみたら好きになるかもしれない」
「いや、むりだな」
 彼女はくちびるをなめた。「雨って、けっこうおいしいのよ」
「なにやってるんだって?あっちこっちへ行って、いろんなものを一度ずつ試しているのか?」
「二度やることもあるわ」少女は手にあるなにかを見ている。
「なに持ってるの?」
「これ今年最後のタンポポだと思うわ。こんな遅くなって芝生で見つかるなんて思わなかった。これであごの下をこすったらという話、聞いたことがあって?ほら」彼女は花をあごにあてて笑った。
「どういうこと?」
「花粉がついたら、恋をしてる証拠なんですって。ついた?」
モンターグとしては見るほかになかった。
----(p.38-39、ハヤカワ文庫(新訳版))----

----(引用)----
「みんな、わたしがどういうふうに時間をつぶしてるか知りたがってる。だから教えてやるのーーーときどきはただすわって物を考えてるって。なにを考えてるかは教えてやらない。そうすると、みんなあわてふためくわ。だけど、ときどきは話してやるの。こんなふうに頭をのけぞらせて、雨を口に入れるのが好きって。ワインとおなじよ。あなた試したことあって?」
----(p.41)----

----(引用)----
「(前略)あなたはほかの人たちと違ってる。何人か会ったことがあるので、知っているのよ。わたしが話すとき、わたしを見るでしょう。昨夜わたしが月の話をしたら、あなたは月を見たわ。ほかの人たちは決して見ないの。(後略)」
----(p.42)----

----(引用)----
「そして大衆の心をつかめばつかむほど、中身は単純化された」とベイティー。「むかし本を気に入った人びとは、数は少ないながら、ここ、そこ、どこにでもいた。みんなが違っていてもよかった。世の中は広々としていた。ところが、やがて世の中は、詮索する目、ぶつかりあう肘、ののしりあう口で込み合ってきた。人口は二倍、三倍、四倍に増えた。映画や、ラジオ、雑誌、本は、練り粉で作ったプディングみたいな大味なレベルにまで落ちた。わかるか?」(中略)
「(中略)二十世紀にはいると、フィルムの速度が速くなる。本は短くなる。圧縮される。ダイジェスト、タブロイド。いっさいがっさいがギャグやあっというオチに縮められてしまう」
----(p.92)-----

----(引用)----
「(前略)あの子は物事がどう起こるかではなく、なぜ起こるかを知りたがっていた。これは厄介なことになりかねない。いろいろなことに、なぜ、どうしてと疑問をもってばかりいると、しまいにはひどく不幸なことになる。気の毒だが、死んだほうがよかったんだ」
----(p.102)----

この本を初めて読んだ時のことを思い出せないのだけれど、そんなに、衝撃は受けなかった記憶がある。引用した部分も、まあ当たり前のことが書いてあるというように思った。だけれど、ここ数年で、こういうことはいまの社会では当たり前ではないのだな、というように思い直すようになった。というか、自分にとって当たり前でも、改めて書籍になっている価値があるものがある、ということに気が付いた。それは別の意味で、新しい価値だけれど。


華氏451度〔新訳版〕

華氏451度〔新訳版〕

  • 出版社/メーカー: 早川書房
  • 発売日: 2014/07/28
  • メディア: Kindle版



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