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八日目 川上弘美『真鶴』

八日目は川上弘美『真鶴』。

----(引用)----
ベンチに座っている礼のからだを、さぐる。腰からわきばらへ、胸からくびへ、顎をつたってくち鼻ひたい、たまらなくなって口づけする、だえきが零れる、むさぼる、背中につよく腕をまわす、しめつける、名をよぶ、こいしい、こうして隣にすわってすきまなく寄っていても、こいしさは薄まらない、かなしくて、かなしくて、からだが消えてしまいそうになる、消えてしまって、きもちだけになる、きもちも散って、そこには何もなくなってしまう、それでもこいしさは消えない、果てがない、鷺が飛んでゆく。
----(文藝春秋、p.225)----

この文章はこの二文でひと段落。
二文目が長く、一息で行くのに、最後にその勢いのまま「鷺が飛んでゆく」に行くのが凄い。この段落分け、句読点の付け方は凄いなあと思う。ひらがなと漢字の感じも好き。

川上弘美は大学院くらいの頃に初めて読んだときはあまり好きでなかったけれど、そのあとにとても好きになった。色々な作品を好きだけれど、『真鶴』はそのなかで私にとってもっとも濃く感じる作品。
失踪した夫(礼)を探すためか主人公(京)は此岸と彼岸の間のような“真鶴”に通う(ちなみに子供は百という)。主人公の日常も独特の世界で、全編が美しくて愛しくて寂しい。

----(引用)----
 よびかけると、礼がきた。
「ねえ、さみしい」言うと、礼はかすかにわらった。
「だいて」
 礼は抱かなかった。かわりに、わたしの目をのぞきこむ。つよい視線のひとだったのに、うすく、よわく、のぞいた。
「こちらに、くる?」聞かれた。
 いきたい。おもう。でも、いくと、いきていられないかもしれない。かんたんに決められるものではない。いきたいのか、それともいきていたいのか、どちらなのか。
「くる?」もう一度、聞かれた。
「いきたい」
 どちらなの。礼はまたかすかにわらった。
----(同書、p.222)----

これはわかりやすいけれど、同音異義語が綺麗。決めない回答ができる。

----(引用)----
 百、と名をよぶ。たすけて。たすけて、百。
「子供に助けをもとめるの」女がせせら笑った。容赦のない笑いだ、と内心で思う。ワンタン麺も食べたことないくせに、この女は。
 にじんでいるところを、もっと強く、たわめたり圧したりしたくなる。力をこめて、みなぎらせたくなる。
 いや、と口にだす。けれど、体の外でその言葉は鳴り響いてくれない。
「ほんとはいやがってないからね」女がきめつける。
 女のことばの調子が、気にさわる。どうしてこんな女についてきてしまったのか。
「あなたも、あたしと同じようなものだからよ」
----(同書、p.125)----

川上弘美の本は、食べ物がすごく美味しそうなのもいい。ここの「ワンタン麺」は全くそういうのじゃないけれど。なんだか、どこを抜き出そうか考えたけれど、どこもよくて、あまり選べない。また同じ本も選べるし、今日はここまで。


そういえば、上の多義性の話と関連して、この前のウルフ『デジタルで読む脳 x 紙の本で読む脳』を読んだ時ににも思ったのだけれど、「文章をわかった」と思うのって、様々な解釈が可能な人ほど、難しくなる場合がある。
心理学や認知科学の文章理解の理論を調べていると、「読者は“一貫性”のある心的表象を構築する」というようなことが書いてあるけれど、読者によって、その文章から感じ取れる情報量が変われば、一貫性(この語はほぼ未定義だけど)を構築しないといけない要素の数自体が変わる。だから、その意味でも、必ずしも早く読める人が豊かとは限らない。当たり前だけど。
自分が築いた一貫性の境界条件の認知とか、あるいは一貫性が築けているというメタ認知って、どうやってるのかなあ....。なんとなく、類推とか、理解とか、そういうのと似た感じがするけど、やってた途中の実験(人の実験は中断中)はそのあたりの話...もっと理解しないと。

うーん、さらに連想してそういえば、私は全くよくわかってないけれど、乾先生から自由エネルギー原理のことを聞いた時に、サプライズ最小化するためには、ダークルームに引きこもるのでも、未知なものを潰しに行動するのでも(まあでも大抵行動するとより未知なもの増えると思うけど)良いけれど、どっちを選ぶかどうやって決まってるんだろう?という素朴な疑問を持って、お昼ご飯を食べながら質問した気がする。あのときは別の話になってしまって、それで終わってしまったけど、きっとどこかに書いてあるんだろう。ちょうど乾先生の『感情とはそもそも何なのか:現代科学で読み解く感情のしくみと障害』を読んでいるので、先の方に書いてあったりするのかな。将来の予測にどのくらい未知なものを見込むかとかそういう価値関数みたいなのがあるんだろうか。そのあとASCONE(神経回路学会のオータムスクール)で磯村さんにお会いしたときにでも訊いてみればよかった。


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  • 作者: 川上 弘美
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