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十六日目 アリストテレース『詩学』 [読書記録・日記]

今日はちょっと休憩で当たり障りのないものを、と思ったのだけれど、うちに当たり障りのない本は残っていなかった(引越しでダンボール数箱分の文庫を読みたくなったら買おうと決心して売ってしまった)。
十六日目はアリストテレース『詩学』。

----(引用)----
 第四章 詩作の起源とその発展について
 
 一般に二つの原因が詩作を生み、しかもその原因のいずれもが人間の本性に根ざしているように思われる。
 (1)まず、再現(模倣)することは、子供のころから人間にそなわった自然な傾向である。しかも人間は、もっとも再現を好み再現によって最初にものを学ぶという点で、他の動物と異なる。(2)つぎに、すべてのものが再現されたものをよろこぶことも、人間にそなわった自然な傾向である。このことは経験によって証明される。なぜならわたしたちは、もっとも下等な動物や人間の死体の形状のように、その実物を見るのは苦痛であっても、それらをきわめて正確に描いた絵であれば、これを見るのをよろこぶからである。
 その理由は、学ぶことが哲学者にとってのみならず、他の人々にとっても同じように最大のたのしみであるということにある。(中略)じじつ、人が絵を見て感じるよろこびは、絵を見ると同時に、「これはかのものである」というふうに、描かれている個々のものが何であるかを学んだり、推論したりすることから生じる。(後略)
----(岩波文庫『アリストテレース 詩学・ホラーティウス 詩論』、pp.27-28)----

これは「再現」一般についてだけれど、次は「悲劇」における再現について。

----(引用)----
 第九章 詩と歴史の相違、詩作の普遍的性格、場面偏重の筋、驚きの要素について

(前略)
 しかし、再現は完結した行為のそれであるばかりでなく、おそれとあわれみを引き起こす出来事の再現であり、このような出来事は、予期に反して、しかも因果関係によって起こる場合もっとも効果をあげる。じじつ、このようにして出来事が生じる場合のほうが、ひとりでに起こったり、偶然に起こったりする場合よりも、驚きがいっそう大きいであろう。偶然の出来事のなかでも、なんらかの意図のもとに生じたように見える出来事がもっとも驚くべきものに思われるからである。たとえば、アルゴスにあったミテュスの像が、ちょうどそれを眺めていたミテュス殺害の犯人のうえに倒れ落ちて生命を奪った場面がそうである。このような事件は、ゆえもなく起こったとは思えない。
 したがって、このような種類の筋は、必然的に他のものよりすぐれていることになる。
----(p.46)----

『詩学』を読んだのは遅く、リクールの『時間と物語』を読まないとと思って、そこから逆に読んだ気がする。ちょっと記憶があやしいけれど。リクールは全然わからなかった。まだ一部しかわからない。この本も、いままた読めば色々と気づきがありそう。
当たり障りの少ない本がすごく読みたいので、明日古本屋さんにGWでしまる前に行きたいな。図書館、開いてないの、仕方ないとはいえ切ない。


アリストテレース詩学/ホラーティウス詩論 (岩波文庫)

アリストテレース詩学/ホラーティウス詩論 (岩波文庫)

  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 1997/01/16
  • メディア: 文庫



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