SSブログ

十六日目 アリストテレース『詩学』 [読書記録・日記]

今日はちょっと休憩で当たり障りのないものを、と思ったのだけれど、うちに当たり障りのない本は残っていなかった(引越しでダンボール数箱分の文庫を読みたくなったら買おうと決心して売ってしまった)。
十六日目はアリストテレース『詩学』。

----(引用)----
 第四章 詩作の起源とその発展について
 
 一般に二つの原因が詩作を生み、しかもその原因のいずれもが人間の本性に根ざしているように思われる。
 (1)まず、再現(模倣)することは、子供のころから人間にそなわった自然な傾向である。しかも人間は、もっとも再現を好み再現によって最初にものを学ぶという点で、他の動物と異なる。(2)つぎに、すべてのものが再現されたものをよろこぶことも、人間にそなわった自然な傾向である。このことは経験によって証明される。なぜならわたしたちは、もっとも下等な動物や人間の死体の形状のように、その実物を見るのは苦痛であっても、それらをきわめて正確に描いた絵であれば、これを見るのをよろこぶからである。
 その理由は、学ぶことが哲学者にとってのみならず、他の人々にとっても同じように最大のたのしみであるということにある。(中略)じじつ、人が絵を見て感じるよろこびは、絵を見ると同時に、「これはかのものである」というふうに、描かれている個々のものが何であるかを学んだり、推論したりすることから生じる。(後略)
----(岩波文庫『アリストテレース 詩学・ホラーティウス 詩論』、pp.27-28)----

これは「再現」一般についてだけれど、次は「悲劇」における再現について。

----(引用)----
 第九章 詩と歴史の相違、詩作の普遍的性格、場面偏重の筋、驚きの要素について

(前略)
 しかし、再現は完結した行為のそれであるばかりでなく、おそれとあわれみを引き起こす出来事の再現であり、このような出来事は、予期に反して、しかも因果関係によって起こる場合もっとも効果をあげる。じじつ、このようにして出来事が生じる場合のほうが、ひとりでに起こったり、偶然に起こったりする場合よりも、驚きがいっそう大きいであろう。偶然の出来事のなかでも、なんらかの意図のもとに生じたように見える出来事がもっとも驚くべきものに思われるからである。たとえば、アルゴスにあったミテュスの像が、ちょうどそれを眺めていたミテュス殺害の犯人のうえに倒れ落ちて生命を奪った場面がそうである。このような事件は、ゆえもなく起こったとは思えない。
 したがって、このような種類の筋は、必然的に他のものよりすぐれていることになる。
----(p.46)----

『詩学』を読んだのは遅く、リクールの『時間と物語』を読まないとと思って、そこから逆に読んだ気がする。ちょっと記憶があやしいけれど。リクールは全然わからなかった。まだ一部しかわからない。この本も、いままた読めば色々と気づきがありそう。
当たり障りの少ない本がすごく読みたいので、明日古本屋さんにGWでしまる前に行きたいな。図書館、開いてないの、仕方ないとはいえ切ない。


アリストテレース詩学/ホラーティウス詩論 (岩波文庫)

アリストテレース詩学/ホラーティウス詩論 (岩波文庫)

  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 1997/01/16
  • メディア: 文庫



nice!(0)  コメント(0) 

十五日目 『謡曲集』から「紅葉狩」 [読書記録・日記]

十五日目はお能の謡曲から「紅葉狩」。

----(引用)-----
堪へず紅葉 青苔の地 
またこれ涼風 暮れ行く空に 
雨うち注ぐ 夜嵐の
物凄まじき 山蔭に
月待つ程のうたた寝に 片敷く袖も露深し
夢ばし覚まし給ふなよ 夢ばし覚まし給ふなよ
----(『新潮日本古典集成 謡曲集 下』「紅葉狩」、p.308、改行は私)----

最初私はこのフレーズから「紅葉狩」が好きになったのですが、前半は白楽天の歌が元なので、半分は白楽天が好きなのかも。
筋としては、平の維茂が山に鹿狩りに行くと、やんごとない感じの女性たちが紅葉狩をしている。失礼にならないようにと馬を降りて通り過ぎようとすると「あら情けなきおんことや 一村雨の雨宿り 一樹の蔭に 立ち寄りて...」(ちょっと飲んで行きなさいよ)とか言われてだいぶ飲んで寝入ってしまい、そしたら女性は実は鬼で、そのことを夢で八幡宮の神様に教えてもらい、打ち取る、という話です。
この鬼の女性が好き。もともと維茂が来る前から良い場所を探して紅葉狩をしているようなので、最初は単に紅葉狩したくて出てきたのかしら。
謡曲は和歌や漢詩が色々仕込まれているので、なかなか教養が足りなくて一人で十分味わえないのだけれど、書籍の注を読みながら掛詞や枕詞も気づきつつ、音読すると楽しいです。

----(引用)----
さなきだに人心 乱るる節は竹の葉の
露ばかりだに受けじとは 思ひしかども盃に
迎へば変はる心かな
----(同書、p.307)----

「さなきだに」は「然なきだに」で「そうでなくてさえ」という意味のようです。
お酒をすすめられた維茂の状態です。だいたい現代と同じ。つい飲んだときに「露ばかりだに受けじとは 思ひしかども盃に」とか言ってみようか。


謡曲集〈下〉 (新潮日本古典集成)

謡曲集〈下〉 (新潮日本古典集成)

  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 1988/10/01
  • メディア: 単行本



nice!(0)  コメント(0) 

十四日目 フィッツジェラルド『若者はみな悲しい』

『華麗なるギャツビー』にしようとしたら見つからなかったので、十四日目はフィッツジェラルド『若者はみな悲しい』。

----(引用)----
 ある個人を語ろうとすると、それだけで人間のタイプを語ってしまう。もしタイプから始めると、話はどこにも行かなくなる。誰だっておかしな生き物だ。
----(p.10、「お坊ちゃん」)----

『移動祝祭日』からのつながりでフィッツジェラルドにしようとしたけれどギャツビーが見つからなかった。うーん、この本はもしかしたら売ったかも?ということで代打で『若者はみな悲しい』。これは自選短編集。全然覚えていなくて、二つの話を読み返してしまった。ここが好き、という切り取りが難しいのだけれど、どんどん読ませる。

----(引用)----
「ポーラ......ポーラ!」
 こんな言葉が、まるで手につかんだように、ポーラの心を絞った。腕の中で小刻みにふるえるのがわかるだけに、アンソンは気持ちが伝われば十分だと思っていた。これ以上言うことはない。言えば結婚に踏み込む。そんな謎めいた現実に運命を託したくない。こうして抱いていられるなら、あわてることはない。一年でも、ずっと先でも、このままでよいではないか。どちらかというとポーラへの配慮のつもりだった。
----(p.34、「お坊ちゃん」)----

最初の話「お坊ちゃん」は、大金持ちで家柄もよく押し出しも強く、他にない魅力や欠点をもつアンソンの主に恋愛や結婚を主軸に描いた話。アンソンはなかなかうまくいかず、しかしうまくいかないということを認められない。もう一つ読み返した「子どもパーティ」も、階級や男女の別を(いまなら問題になりそうだが)描きながら、なんとも言えない心の動きを、一見平凡な筋立てなのに生き生きを書く。


若者はみな悲しい (光文社古典新訳文庫)

若者はみな悲しい (光文社古典新訳文庫)

  • 出版社/メーカー: 光文社
  • 発売日: 2013/12/20
  • メディア: Kindle版


nice!(0)  コメント(0) 

十三日目 京極夏彦『ヒトごろし』 [読書記録・日記]

十三日目は京極夏彦『ヒトごろし』。今日は午後から雨だったので、泉鏡花もいいかなと思ったけれど。

----(引用)----
「そうさ。勝ったとか負けたとか勝ち負けで世の中測る奴ァ、本気の本気で愚か者だぜ。勝負ごとってな遊びなんだよ、遊び。しかも賢くねえ遊びだぜ。そんなもん物差しにして天下を測られちゃどうにもならねえだろう。俺はな、親父と同じで博打は嫌えだ。博打ってな、考えるもなく胴元が儲かる仕組みだぜ。てめえも博打はしねえ性質だろ」
 しねえよと答えた。
「誰が勝とうが負けようが、それで良くなるならいいんだよ、世の中はな。そうだろ。それを勝つの負けるのとー」
 あの莫迦どもがと吐き捨てるように言い、勝は眉根を寄せる。
「沽券だが忠義だが知らねえが、連中はまったく先が読めてねえ。あんなのが幅を利かせていたのじゃあ、天下ァ傾く。徳川も国も滅ぶ。いいか、勝つも負けるも大差はねえ。勝ち負けを操れる者が一番強え。そういう性質を持った者こそが政をするべきなんだ。偉えのじゃねえ。それが、そういう性質の者の、役目なんだよ」
(中略)
「勝とうが負けようが違いはねえということに気付かねえ莫迦は、死ぬんだよ土方。勝つために殺そうとするし、負けたくねえから殺すじゃねえか。生き死にと勝ち負けは関係ねえんだよ。それは」
 絶対に関係ねえと勝は厳しい口調で言った。
「そんなくだらねえことで殺されたんじゃ浮かばれねえよ。意地張るなら生きるために張れってんだよ。どうだ」
----(pp.968--970、新潮社)

京極夏彦は中学の頃に百鬼夜行シリーズを好きになってたくさん読んだ。通学の鞄がとても重かった。
この『ヒトごろし』は2018年に出た比較的最近の本。新撰組は、多くのメディアではかっこよく表現されることが多いけれど、この本では人殺し集団として書かれている。上のシーンは主人公の土方歳三と勝海舟が話すシーン。
私は昔から勝ち組負け組というのが嫌いで、だいたいそのフレームで語る人も好きになれない。
次は終盤で、ネタバレもあるので、注意。

----(引用)-----
「そうだよ。妾は生きたくなったんだ。土方歳三、あんたと生きたくなったのサ。悪いかい。何だい、人殺しに惚れちゃいけないとでもいうのかサ。そんなことはどうでもいいんだ。格好つけないでお呉れよ。あんたのことだ、妾の気持ちなんざ、疾うの昔に察していたんじゃあないのかい」
----(p.1074、同)----

土方はこの涼を殺すために最後の40ページくらい駆け抜けて殺しに殺してここに来るんだけれど、涼は生きたいという。けれど土方は殺したい人なので...というあたりで終盤なのだけれど、この最後の40ページはずっと泣ける感じだった。40ページって結構あるかと思いきや元の作品は1100ページあるので、あっという間。


ヒトごろし

ヒトごろし

  • 作者: 京極 夏彦
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2018/01/31
  • メディア: 単行本



nice!(0)  コメント(0) 

十二日目 ヘミングウェイ『移動祝祭日』 [読書記録・日記]

十二日目はヘミングウェイ『移動祝祭日』。

----(引用)----
私のやっていることは、自由意志によるものであり、やり方がばかげているだけなのだ。一食ぬかすよりは、大きなパンのひと切れを買って、食べればよかったのだ。茶色のきれいなパンの皮だって味わえるんだ。
(中略)
ビールはたいへん冷たく、おいしく飲めた。油いための馬鈴薯は、形がくずれず、汁で味がつけられ、オリーヴ油にひたしてしめらせた。最初に大きくグッとビールをひと飲みしてから、私は極めてゆっくり飲んだり食べたりした。油いための馬鈴薯がなくなってしまうと、もう一皿と、セルヴラを注文した。これは、一種のソーセージで、どっしりした幅広いフランクフルト・ソーセージを二つに裂いて、特別なカラシのソースをかけたようなものだ。
----(岩波書店、pp.89-90、「飢えは良い修行だった」)----

『移動祝祭日』はヘミングウェイが過去にパリにいたときのことを書いた自叙伝的オムニバス作品。事実上の遺作。
パリのヘミングウェイはお金がなかったようで、昼食代を浮かすため、妻には友人と食べると行って外に出て、そして何も食べずに我慢しようとしていた。けれど、それでお腹がすいているときにお金がない現状の不満を人に言ってしまったあとの、この「一食ぬかすよりは、大きなパンのひと切れを買って、食べればよかったのだ。」という文がとても好き。ちなみにこのあと、さらにおかわりする。パリでの食事はどれも美味しそう。
この話「飢えは良い修行だった」の文章はこのあとも素敵で

----(引用)----
そのストーリーの本当の結末、つまり、老人が首を吊って死んだことは、省いてあった。これは、私の新しい理論によって省かれたもので、その理論というのは、もしきみが省いたことを自覚しており、その省かれた部分がストーリーの力を強め、人びとにかれらが理解する以上のものを感じさせる場合には、何でも省いていい、というのである。
 ところで、と私は考えた。今、私はストーリーを省略した形で書いたから、皆はそれを理解しないだろう。それについてはあまり疑問の余地はない。それらのストーリーに対する需要のないことも、非常に確実だ。でも、人がいつも絵画の場合にすると同じふうに、いつか理解するだろう。ただ時間がかかるだけであり、また自信をもちさえすればいいことなのだ。
----(pp.93-94、「飢えは良い修行だった」)----

このときヘミングウェイは、妻の悪意のない不慮によって初期の原稿を全て紛失され、くわえて定期的な収入源だった新聞社の仕事をやめており、しかもスランプで書けなかった。その状態で「書く」ということと「空腹(貧乏)」ということについて書いている。事後的に書かれたものだし、どの程度フィクションなのかわからないけれど。
この本は、ヘミングウェイと妻とのやりとりも楽しい。

----(引用)----
「そうとも。足の向くように歩いていって、どこか新しいカフェへ寄ろう。ぼくたちにも知った顔がなく、向こうもこちらのことを知らないカフェで一杯飲もう」
「二杯飲んだっていいわ」
「それから、どこかで食事といこう」
「だめよ。貸本文庫に支払いのあるのを忘れちゃだめよ」
「じゃ、うちへもどって、ここで食べよう。うまい食事をして、消費組合で売っているぶどう酒ボーヌを飲もうじゃないか。そら、そこの窓から見えるだろう。ボーヌの値段が窓ガラスに書いてあるよ。そのあとは、本を読み、それから床へ入って仲好くするのさ」
「あたしたち、ほかの人は絶対に好きにならないのよ」
「そうだよ、絶対に」
----(pp.45-46、「シェイクスピア書店」)----

しかし最後の話で、たぶんヘミングウェイは別の女性に乗り換えるのでした。


(ちなみにフィッツジェラルドの節もあり、ヘミングウェイがまったく大人しく思えるくらいにめちゃくちゃなフィッツジェラルドの記述も面白かった記憶があります。
もともと『デミアン』の次は別の本を考えていたんだけど、気が変わったのでパリの美味しい話にしました。)


移動祝祭日 (同時代ライブラリー)

移動祝祭日 (同時代ライブラリー)

  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 1990/07/13
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)



nice!(0)  コメント(0) 

十一日目 ヘルマン・ヘッセ『デミアン』 [読書記録・日記]

十一日目はヘルマン・ヘッセ『デミアン』。

----(引用)----
(前略)それがどんなものか、ほんとうに生きている人間とは何か、ということは、たしかに今日では、前よりもわからなくなっているし、さればこそ、ひとりひとりが、自然というものの貴重な、一回かぎりの実験である人間が、大量に銃殺されつつある。もしもわれわれが、一回かぎりの人間以上に出ないとすれば、われわれのひとりひとりが、銃弾でもって、あとかたもなくこの世から消されうるとすれば、物語なぞ述べることは、なんの意味もなくなってしまうであろう。ところがどんな人間でも、ただかれ自身であるばかりでなく、なおまた、一回かぎりの、まったく特別な、あらゆる場合に重要な、注目すべき一点をなしていて、その一点で世界のいろんな現象が、あとにも先にもただ一回かぎりのすがたで、出会うわけなのである。だから、どんな人間の物語も、重要で、不朽で、神々しい。だから、どんな人間でも、どうにか生きながら、自然の意思をみたしているかぎりは、すばらしいものだし、注意にあたいするものなのだ。どの人間の中でもひとつの精神が形となったわけだし、どの人間の中でも、生きものが悩んでいるし、ひとりひとりの救世主が十字架にかけられるのである。
 人間とは何かということを、こんにち知っている人はすくない。それを感じている人は多い。だからわりあい楽な気持ちで、死んでゆくーちょうどぼくが、この物語を書きあげてしまったら、おそらくわりあい楽に死んでゆくのと同様に。
----(岩波文庫、pp.8-9、はしがき)

『デミアン』は私はぜひ紙で読みたい。このはしがきの部分を読み始めたとき、この文章はゆっくり読もうと思った。

amazonで新潮文庫と光文社はkindle版があって、このはしがきの部分はサンプルで読むことができる。新潮文庫は岩波とにているけれど、光文社はかなり違う。私は岩波文庫のこの文章がとても好きで、他の訳だったらこの文章をこれほど好きになったかわからない。ただ岩波文庫はkindleがなくて試し読みできない。はしがき全文はとても良いので、よければkindle版サンプルで新潮文庫を読んでみて欲しい。光文社はだいぶ趣が違うのも面白いかも。

そういえば、五日目のポー「大鴉」の時に書いた阿部保の『ポー詩集』、どうしても見たことがある気がすると思っていたら、やっぱり家にありました(下のリンクのものより古い表紙のもの)。古本で買ったみたいで、中に誰かに宛てたメモが入っていた。そこでアイザック・ワッツ『ホーライ・リリカイ』と西脇順三郎がすすめられていた。私はどっちも読んだことがないけれど、読んでみようかな。アイザック・ワッツは賛美歌作家みたい。
そういえば、前に『数学的経験』という本を古本で買ったことがあり、内容はそのときは全然わからなかったのだけれど、押し花が入っていた。いまぱらぱらめくったら、内容も面白そう。どうしてあのときは読まなかったのだろう。押し花はせっかくなので入れっぱなしになっています。


デミアン (岩波文庫 赤435-5)

デミアン (岩波文庫 赤435-5)

  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2020/04/25
  • メディア: 文庫




デミアン (新潮文庫)

デミアン (新潮文庫)

  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2020/04/25
  • メディア: 文庫




デーミアン (古典新訳文庫)

デーミアン (古典新訳文庫)

  • 出版社/メーカー: 光文社
  • 発売日: 2017/06/13
  • メディア: 文庫




ポー詩集 (新潮文庫)

ポー詩集 (新潮文庫)

  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2020/04/25
  • メディア: 文庫




数学的経験

数学的経験

  • 出版社/メーカー: 森北出版
  • 発売日: 1986/12/01
  • メディア: 単行本


nice!(0)  コメント(0) 

十日目 橋本治『百人一首がよくわかる』 [読書記録・日記]

十日目は橋本治『百人一首がよくわかる』。
今日は本当はヘッセの『デミアン』にしたくて、それを受けて明日以降何にするかも決めていたんだけれど、岩波の『デミアン』を閉鎖中の大学に置いていた。うーん、別件の時に一緒に持ち出すか。他にも持ち出したい本があるし。さすがに全て買い直していたらそれなりの額になる。
というわけで今日はちょっとやさぐれ気味。

----(引用)----
西行法師
嘆けとて 月やはものを 思はずる
 かこち顔なる わが涙かな

現代語訳
「泣けとでも言うのか月は」と思っちゃう
 文句の多い 俺の涙さ

(中略)
「かこち顔なるわが涙かな」の一節を覚えたら、この文句だけで一生我慢できます。
----(pp.192-193)----

この本は橋本治が百人一首に身も蓋もない現代語訳をつけながら解説するもの。西行法師の歌に対して、わがままが多い俺、みたいな訳をつけて、そして使いたくなる解説がついてるので、特にすごく感動するのではないけれど、使ってみたくなる。今日みたいなときにね。一生は我慢できないけど。

----(引用)----
中納言朝忠
逢ふことの たえてしなくは なかなかに
 人をも身をも 恨みざらまし

現代語訳
セックスが この世になければ 絶対に
 こんなにイライラ しないだろうさ!

(中略)
この歌をおとなしく解釈します。「あなたが好きだ。でも会えない。それがつらくて自分にもイライラするし、あなたにも八つ当たりしてしまう」です。でもこの歌はもっと過激になります。「セックスというものがなかったら、他人にも当たらないし、自分にもイライラしない」です。
(中略)この歌の作者は、きっと有名なこの若も知っていましたー在原業平作の「世の中にたえて桜のなかりせば 春の心はのどけからまし」です。「桜の花がなかったら、世間の人は静かだろう」というのですから、この歌だってー。
----(pp.108-109)----

この前の歌は「逢ひ見ての 後の心に くらぶれば 昔はものを 思はざりけり」です。このあたりはまあこういう感じで笑ってしまう。橋本治がどの歌も楽しそうに解説するので、楽しくなります。
橋本治は中学のときに『宗教なんかこわくない!』を読み、なんてわかりにくく書くけれどわかりやすい人だろう、理解するためにジェットコースターに乗っているみたいだ、と思いました。私が読んだ多くの彼の本がそういうスタイルで書かれていたけれど、この本はみじかく読みやすく書かれています。きっと、和歌を読んでほしかったんだろうな。


百人一首がよくわかる

百人一首がよくわかる

  • 作者: 橋本 治
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2016/04/21
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)




宗教なんかこわくない! (ちくま文庫)

宗教なんかこわくない! (ちくま文庫)

  • 作者: 橋本 治
  • 出版社/メーカー: 筑摩書房
  • 発売日: 2020/04/24
  • メディア: 文庫




デミアン (岩波文庫 赤435-5)

デミアン (岩波文庫 赤435-5)

  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2020/04/24
  • メディア: 文庫



nice!(0)  コメント(0) 

九日目 小川洋子『猫を抱いて象と泳ぐ』 [読書記録・日記]

九日目は小川洋子の『猫を抱いて象と泳ぐ』

----(引用)----
マスターは猫背気味に背を縮め、身体中の余った脂肪を揺らしながら手際よくフォークと紙ナプキンを並べ、おやつに負けないくらい甘い飲み物を用意した。そして少年の十倍の量を食べつくしてようやく満足し、「さてと......」と言って両手を擦り合わせた。この瞬間に見せるマスターの表情が、少年は一番好きだった。でっぷりとした掌がすりすりと気持ちのよい音を立て、口の周りにはお菓子のかけらがくっついている。バスの中は光にあふれ、庭は静けさに包まれている。さあ、何の心配もいらない、思い切りチェスをやろうじゃないか、と微笑みの中から呼び掛けてくるような、そんな表情だった。
----(文藝春秋、p.51)----

この本は、チェスのプレイヤーの話なのだけれど、残念ながら私は全然チェスを知らない。なので、もしかしたら本の一部しかわかっていないのかなと思う。それでも心動かされる本だった。チェス、やってみようかなと何回か思い、子供の頃にルールだけ教えてもらったきりになっている。
このシーンは、主人公がチェスを(元)バスの中で習うシーン。自家製のおやつや光の描写が幸せそう。

----(引用)----
ミイラは自分など何の役にも立たないのだが、という遠慮がちな手つきで、肘、膝、腰、肩、踝、顎、指、ありとあらゆる身体中の関節を撫でていった。彼女のしなやかな掌は、どんな形の関節にもぴったりと寄り添い、その隅々にまで指を這わせることができた。ああ、自分の身体にはこんなところにも関節があったのか、と彼は目を閉じたまま思った。
----(同書、p.162)----

小川洋子の登場人物はみんなどこか“ふつう”ではないことが多い。けれど、昨日の川上弘美とは、私のなかでは印象がかなり違っていて、川上弘美の方がなまなましい感じ、小川洋子の方が線が細い感じがする。また、小川洋子の方が、なんていうか、本の中でまとまっているようなイメージがある。掌に乗せて慈しむような。


猫を抱いて象と泳ぐ (文春文庫)

猫を抱いて象と泳ぐ (文春文庫)

  • 作者: 小川 洋子
  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 2011/07/08
  • メディア: 文庫



nice!(0)  コメント(0) 

八日目 川上弘美『真鶴』

八日目は川上弘美『真鶴』。

----(引用)----
ベンチに座っている礼のからだを、さぐる。腰からわきばらへ、胸からくびへ、顎をつたってくち鼻ひたい、たまらなくなって口づけする、だえきが零れる、むさぼる、背中につよく腕をまわす、しめつける、名をよぶ、こいしい、こうして隣にすわってすきまなく寄っていても、こいしさは薄まらない、かなしくて、かなしくて、からだが消えてしまいそうになる、消えてしまって、きもちだけになる、きもちも散って、そこには何もなくなってしまう、それでもこいしさは消えない、果てがない、鷺が飛んでゆく。
----(文藝春秋、p.225)----

この文章はこの二文でひと段落。
二文目が長く、一息で行くのに、最後にその勢いのまま「鷺が飛んでゆく」に行くのが凄い。この段落分け、句読点の付け方は凄いなあと思う。ひらがなと漢字の感じも好き。

川上弘美は大学院くらいの頃に初めて読んだときはあまり好きでなかったけれど、そのあとにとても好きになった。色々な作品を好きだけれど、『真鶴』はそのなかで私にとってもっとも濃く感じる作品。
失踪した夫(礼)を探すためか主人公(京)は此岸と彼岸の間のような“真鶴”に通う(ちなみに子供は百という)。主人公の日常も独特の世界で、全編が美しくて愛しくて寂しい。

----(引用)----
 よびかけると、礼がきた。
「ねえ、さみしい」言うと、礼はかすかにわらった。
「だいて」
 礼は抱かなかった。かわりに、わたしの目をのぞきこむ。つよい視線のひとだったのに、うすく、よわく、のぞいた。
「こちらに、くる?」聞かれた。
 いきたい。おもう。でも、いくと、いきていられないかもしれない。かんたんに決められるものではない。いきたいのか、それともいきていたいのか、どちらなのか。
「くる?」もう一度、聞かれた。
「いきたい」
 どちらなの。礼はまたかすかにわらった。
----(同書、p.222)----

これはわかりやすいけれど、同音異義語が綺麗。決めない回答ができる。

----(引用)----
 百、と名をよぶ。たすけて。たすけて、百。
「子供に助けをもとめるの」女がせせら笑った。容赦のない笑いだ、と内心で思う。ワンタン麺も食べたことないくせに、この女は。
 にじんでいるところを、もっと強く、たわめたり圧したりしたくなる。力をこめて、みなぎらせたくなる。
 いや、と口にだす。けれど、体の外でその言葉は鳴り響いてくれない。
「ほんとはいやがってないからね」女がきめつける。
 女のことばの調子が、気にさわる。どうしてこんな女についてきてしまったのか。
「あなたも、あたしと同じようなものだからよ」
----(同書、p.125)----

川上弘美の本は、食べ物がすごく美味しそうなのもいい。ここの「ワンタン麺」は全くそういうのじゃないけれど。なんだか、どこを抜き出そうか考えたけれど、どこもよくて、あまり選べない。また同じ本も選べるし、今日はここまで。


そういえば、上の多義性の話と関連して、この前のウルフ『デジタルで読む脳 x 紙の本で読む脳』を読んだ時ににも思ったのだけれど、「文章をわかった」と思うのって、様々な解釈が可能な人ほど、難しくなる場合がある。
心理学や認知科学の文章理解の理論を調べていると、「読者は“一貫性”のある心的表象を構築する」というようなことが書いてあるけれど、読者によって、その文章から感じ取れる情報量が変われば、一貫性(この語はほぼ未定義だけど)を構築しないといけない要素の数自体が変わる。だから、その意味でも、必ずしも早く読める人が豊かとは限らない。当たり前だけど。
自分が築いた一貫性の境界条件の認知とか、あるいは一貫性が築けているというメタ認知って、どうやってるのかなあ....。なんとなく、類推とか、理解とか、そういうのと似た感じがするけど、やってた途中の実験(人の実験は中断中)はそのあたりの話...もっと理解しないと。

うーん、さらに連想してそういえば、私は全くよくわかってないけれど、乾先生から自由エネルギー原理のことを聞いた時に、サプライズ最小化するためには、ダークルームに引きこもるのでも、未知なものを潰しに行動するのでも(まあでも大抵行動するとより未知なもの増えると思うけど)良いけれど、どっちを選ぶかどうやって決まってるんだろう?という素朴な疑問を持って、お昼ご飯を食べながら質問した気がする。あのときは別の話になってしまって、それで終わってしまったけど、きっとどこかに書いてあるんだろう。ちょうど乾先生の『感情とはそもそも何なのか:現代科学で読み解く感情のしくみと障害』を読んでいるので、先の方に書いてあったりするのかな。将来の予測にどのくらい未知なものを見込むかとかそういう価値関数みたいなのがあるんだろうか。そのあとASCONE(神経回路学会のオータムスクール)で磯村さんにお会いしたときにでも訊いてみればよかった。


真鶴 (文春文庫)

真鶴 (文春文庫)

  • 作者: 川上 弘美
  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 2009/10/09
  • メディア: 文庫





デジタルで読む脳 X 紙の本で読む脳 :「深い読み」ができるバイリテラシー脳を育てる

デジタルで読む脳 X 紙の本で読む脳 :「深い読み」ができるバイリテラシー脳を育てる

  • 出版社/メーカー: インターシフト (合同出版)
  • 発売日: 2020/02/06
  • メディア: 単行本





感情とはそもそも何なのか:現代科学で読み解く感情のしくみと障害

感情とはそもそも何なのか:現代科学で読み解く感情のしくみと障害

  • 作者: 乾 敏郎
  • 出版社/メーカー: ミネルヴァ書房
  • 発売日: 2018/09/20
  • メディア: 単行本



nice!(0)  コメント(0) 

七日目 プルースト『失われた時を求めて』 [読書記録・日記]

七日目はプルーストの『失われた時を求めて』。

----(引用)----
生垣のあいだから庭園のなかの小径が見え、その縁にはジャスミンや、バンジーや、バーベナが植えられ、そのあいだにストックが真新しい巾着状の花を開いているが、その花の香しい色褪せたバラ色はコルドバの古びた皮革を思わせる。砂利のうえには緑色に塗装したスプリンクラーの長い管が張りめぐらされ、ところどころに開けられた穴から、花の香りを湿らせつつ花の上方に扇型に吹きあげる水滴の霧は、プリズムのように多彩な色に輝いている。と、突然、私は足を止め、もはや身動きできなくなった。それはある光景がわれわれのまなざしに到来しただけでなく、はるかに深い知覚作用を求め、われわれの全存在を意のままにしたときにおこる現象である。赤みをおびたブロンドの髪の少女が、散歩から戻ったところといった風情で、園芸用のスコップを手に、バラ色のそばかすの顔をあげ、じっと私たちを見つめていた。黒い目が輝いていたが、そのときも以降も私は、強烈な印象を客観的構成要素にわける術を知らず、また人のいう「観察眼」を十分に備えていなくて目の色という概念だけをとり出すことができず、長いあいだ少女のことを考えるたびに、髪がブロンドだから、その目の輝きの想い出はただちに鮮やかな青としてあらわれた。そんなわけで、かりにあれほど黒い目をしていなかったらーその黒い目はその少女に最初に会ってじつに強く印象に残ることであるー、少女のとりわけ青い目に現にそうなったほど恋こがれることはなかっただろう。
----(岩波文庫、pp.308-309)----

最近、所沢航空記念公園に散歩に行くのだけれど、公園は50haもありとても広く、木々が生い茂っている場所もあって、とても気持ちがいい。それで、今日はこういう新緑や花々を表した小説にしたいなと思ったのだけれど、近年そういうみずみずしい小説の記憶がない。そういえばずっと前に読んだ『失われた時を求めて』に豊かな庭園の記述があった気がすると思い、探した。
『失われた時を求めて』は岩波文庫の吉川一義訳で読んでいて、6巻くらいで翻訳に追いついてしまい、待っているうちに忘れてしまってそのままになっている。そして結構昔のせいか、ほとんど筋は忘れてしまった。読んでいるときはとても楽しかった記憶がある。それでもイメージ的な小説だけあって、庭のイメージは残っていたみたい。ちょっとめくったら、やっぱり面白そう。いつか、14巻をひたすら読む旅行とかしてみたい。あと光文社の高遠弘美さんの訳も読んでみたい。
プルースト、結構意識や知覚の話をしていて、その点からもいま読むと面白いな。


失われた時を求めて(1)――スワン家のほうへI (岩波文庫)

失われた時を求めて(1)――スワン家のほうへI (岩波文庫)

  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2010/11/17
  • メディア: 文庫



nice!(0)  コメント(0)