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六日目 呉茂一訳『ギリシア・ローマ抒情詩選』

六日目は呉茂一訳『ギリシア・ローマ抒情詩選』。

----(引用)----
ちよつぴり啖ひ、ちよつぴり飲み、
 さて大いに病気をしたあげく、
やつとこさと、だがとうとう私も死んじまつた。
 みなも一緒にくたばるがいい。
----(読人知らず、pp.50-51)----

これは「ぎりしあ詞華集抄」章の「哀歌および碑銘」の節から。
ポーに引き続き詩ですが、この本は最近古本屋で衝動買いしました。
この詩がいつ作られたか私には正確にわからないけれど、前七世紀から後十世紀の間のはずなので、ということは少なくとも一千年以上は伝えられたことになる。この詩、韻が綺麗なのかもしれないが(原文はもちろんわからない)、食べて飲んで「みなも一緒にくたばるがいい」が一千年以上伝えられてしまうところがすごい。

この本は時々開いていくつかの詩を読んで、ということをしているので、まだ少ししか読んでいない。この節にはひたすら墓碑銘のような詩が出てくる。

次は「恋愛詩」の節から。

----(引用)----
たのしさは、夏、のど渇く人らに
    雪の飲みもの。たのしみは
 冬のあらしを脱け出た舟子に
    春の 微風のありさま。
たのしさは、なほさらに、一つの被衣が
    愛するひとらを
つつむとき、そいで二人が、キュプリスを
    たたへあふとき。
----(アスクレーピアデース、p.78)----

この本は、最初の章に「ぷらえるうでぃうむ・エジプト詩集」も含まれていて、その冒頭も格好いいけれど、今日はここまで。



ギリシア・ローマ抒情詩選―花冠 (岩波文庫)

ギリシア・ローマ抒情詩選―花冠 (岩波文庫)

  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 1991/11/18
  • メディア: 文庫



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五日目 ポー「大鴉」 [読書記録・日記]

五日目はポー「大鴉」。

----(引用)----
それから私が思うのに、天人の振る目には見えない香炉から、香はのぼり、
空気は益々濃くなった、天人の足音は床の絨毯の上に響いた。
「薄命者よ」私は叫んだ、「お前の神はお前にあたえた---これらの天使を使いにし
彼はお前に送った、休息を、レノアを思い出しての、愁を忘れる休息や憂晴らし。
飲めよ、飲め、ああこのやさしい憂晴らしを、そして死んだレノアを忘れよう。」
    大鴉はいらえた、「またとない。」
----(新潮文庫、kindle版からの引用なのでページ不明)----

元の英語は
---(引用)----
Then, methought, the air grew denser, perfumed from an unseen censer
Swung by seraphim whose foot-falls tinkled on the tufted floor.
“Wretch,” I cried, “the God hath lent thee --- by these angels he sent thee
Respite --- respite and nepenthe from thy memories of Lenore;
Quaff, oh quaff this kind nepenthe and forget this lost Lenore!”
    Quoth the Raven “Nevermore.”
----(岩波文庫,pp.154-156)

岩波文庫版は英語と日本語の対訳が載っているので、昔に岩波文庫版を買ったのだけれど、どうも日本語訳が好きになれなくて、今回新潮文庫の阿部保訳を改めて買い足しました。私は阿部保の訳の方が好き。まだ大鴉しか読んでいないので、他も時々英語と合わせて読んでみたい。
阿部保のポオは、内田善美の『星の時計のLiddell』で読んだポオの詩がとても素敵だと思ったら、今回調べたらあれも阿部保訳だったみたい。今日買ったKindle版(訳がよかったので紙でも買おうかな)には、この『星の時計のLiddell』に載っていた詩は入っていないみたい。入ってるのも欲しいけれど、あんまり売ってないな。

岩波文庫版も載せてみる。

----(引用)----
気がつくと、空気が妙に濃くなって、まるで天使が白い雲をふみつつ振る
香炉の煙であたりが暗くなったかのよう
“このろくでなしめ”と私は叫んだ、“神は天使どもに送られてきたおまえに
休息と憂さ忘れの薬をあたえた
レノーアへの数々の思い出を忘れさせるために---
これを飲め---この親切な薬を飲んで
レノーアの思い出を忘れよというのか!”
    大鴉は言った、“Nevermore”
----(岩波文庫、pp.155-157)

二つの訳で意味合いがかなり違って感じられる。英語の方に多義性があるので、どちらが正しいということもないと思うけれど。

とはいえ、英語の韻が楽しい。英語、古い単語(?)が使われていて、私は調べながらでないと意味がわからないのだけれど、声に出すとそこらじゅうで韻を踏んでいる。
「Then, methought, the air grew denser, perfumed from an unseen censer
Swung by seraphim whose foot-falls tinkled on the tufted floor.」
ここのところ、意味も音も好き。

この大鴉は、そしてとにかく「Nevermore」がかっこういい。大鴉はひたすらにNevermoreと答えるのだけれど、意味が絶妙に通るところも。死んだ彼女をエデンで抱けるだろうか「Nevermore」みたいな。新潮文庫では「またとない」、岩波では「Nevermore」のまま訳している。


ポー詩集 (新潮文庫)

ポー詩集 (新潮文庫)

  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2020/04/19
  • メディア: 文庫




ポー詩集―対訳 (岩波文庫―アメリカ詩人選)

ポー詩集―対訳 (岩波文庫―アメリカ詩人選)

  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 1997/01/17
  • メディア: 文庫




ポオ詩集 (世界の詩 47)

ポオ詩集 (世界の詩 47)

  • 出版社/メーカー: 彌生書房
  • 発売日: 2020/04/19
  • メディア: 単行本




星の時計のLiddell (1)

星の時計のLiddell (1)

  • 作者: 内田 善美
  • 出版社/メーカー: 集英社
  • 発売日: 2020/04/19
  • メディア: 単行本



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四日目 森博嗣『六人の超音波科学者』 [読書記録・日記]

ちょっと重いのが続いたので、四日目は比較的最近の森博嗣『六人の超音波科学者』。

----(引用)----
「大切だからって、いったい何なのでしょうか?大切なものって、何が大切なのですか?大切に思うことが大切なのかしら?それとも、大切だと教えることが大切なの?私の申し上げていることがわかりますか?」
---(ノベルス、p.249)---

----(引用(以下一箇所少しネタバレ部分があるので注意))----
「何故ならば、理由なんてもの自体が、単なる記号だからです。たとえば、あのエレベータが、何人か乗らないと動かない仕掛けだった場合、たまたま、手前の部屋で倒れていた小鳥遊君をウエイトに使うために引きずっていったのかもしれません。それは、目的を果たすための立派な理由です。しかし、人を殺す理由にはならない、どんな理由も、許可を得るためのキーにはなっても、許可が得られると保証された資格ではないのです」
(中略)
「それが許されることと、それができることの差です。気づかれたら困る、自分が誰だか見破られたら困る......、だから黙らせる、だから首を絞める、だから殺してしまう。だから、だから、だから、という理由で人はどんどん堕ちていく。人でなくなっていくのです。思い出しなさい。考えましたか?殺したら、もとに戻らないのよ!」
----(同書、pp.250-251)----

森博嗣は昔はSMシリーズが好きで、そのあとのVシリーズ(紅子の)は最初はあまり好きではなかったけれど、長じてだんだん好みが代わり、いまはVも好き。スカイ・クロラもとても好き。
教育的な何かをしないといけないとき、このあたりのフレーズを思い出すことがある。大切だからって何なのか、とか理由というものの価値とか。

ところで、初日に紹介したリルケの『若き詩人への手紙』を読み直していたのだけれど、記憶のなかではそんな重い話ではなかったはずが、結構これ辛い...ということに気づきました。若き詩人が書いた方の手紙は載っていないのだけれど、おそらく若き詩人が挫折しかけるなか、リルケの純粋な回答がなかなか辛い。

あと、『細雪』の長い文をためしにCabochaで構文解析してみました(NLP100のを参考に)。
sasame.dot.png
小さくて見えないと思うので見たい方はクリックして拡大してください(なんかちょっと結果が間違ってる気がする...解析できてないのかも)。
おそらく句点がないところでも人間は適当に分節化して理解しているけれど、これを一文で書いて理解させうるのはすごいな。たけくらべとかもっと長かった気がするし、もともと音読を前提にした文章だと長いと思うけれど。
ちなみに私は暗記系が嫌い・苦手だったので文法関連は全然勉強せず、テストではいつも勘で回答していました。古文も漢文も勘で。もうちょっと勉強しておけばよかったかなあとときどき全般的に思います。


六人の超音波科学者 Six Supersonic Scientists Vシリーズ (講談社文庫)

六人の超音波科学者 Six Supersonic Scientists Vシリーズ (講談社文庫)

  • 作者: 森博嗣
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2012/09/28
  • メディア: Kindle版



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三日目 埴谷 雄高『闇のなかの黒い馬』 [読書記録・日記]

三日目は埴谷雄高の『闇のなかの黒い馬』。

----(引用)----
灰色の壁のなかにかこまれた部屋のなかで黙想していた頃、真夜中過ぎ、冬の闇の遠い虚空から駆けおりてくる一匹の黒馬が音もなく私が目覚めている区劃へはいつてくる幻想が、屢々、私に浮んだ。
-----(p.13、河出書房新社、1972年)----

実は告白すると、この本はつい先日その表紙に一目惚れして(下のリンクに見えるはず)ハードカバーで購入したばかりでまだ一章しか読んでいない。そして上の文章が真にいいのかどうか、正直まだよくわからない。
でも、箱入りのハードカバーの本を箱から取り出し、印刷もところどころ掠れる少し黄色目の紙の1972年の本、見返しが黒く少し怖い手の絵を横目に夜に読むと、自分自身が闇のなかで眠れず考え事をしているような、不思議な気分になってくる。表紙は、人の目の中に、馬の蹄鉄が描かれているのかなと思うけれど(タイトルから)、オメガのように見えて怪しくていい。そして、全く知らなかったのだが、三章目のタイトルが『自在圏』...圏論にありそう自在圏...。
埴谷雄高は、『死霊』しか知らず、そして『死霊』は挫折したのだが、それに比べてはるかに読みやすい。『死霊』は、大学の時に友人にすすめられ、真面目だったので頑張って読もうとするも全くわからず、そして未完だということを知って絶望を感じて諦め、十年ぶりにあったすすめた本人に謝ったところ友人本人も読んでいなかったというエピソードがある。いつか死霊も読めるようになるのだろうか。


闇のなかの黒い馬 (1971年)

闇のなかの黒い馬 (1971年)

  • 作者: 埴谷 雄高
  • 出版社/メーカー: 河出書房新社
  • 発売日: 2020/04/17
  • メディア: -



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二日目 谷崎潤一郎『細雪』 [読書記録・日記]

二日目は谷崎潤一郎『細雪』。
本当はマックス・エルンストの『百頭女』にしようと思ったのだけど、本が見つからない...どこに行ったのかしら百頭女...この本は引っ越しのときに売ってないと思うんだけど。
引用で、長いダッシュと三点リーダーがうまくでないのでご容赦ください。

-----(引用)-----
「こいさん、頼むわ。ーーー」
鏡の中で、廊下からうしろへ這入って来た妙子を見ると、自分で襟を塗りかけていた刷毛を渡して、其方は見ずに、眼の前に映っている長襦袢姿の、抜き衣紋の顔を他人の顔のように見据えながら、
「雪子ちゃん下で何してる」
と、幸子はきいた。
--------(新潮文庫上巻、p.5)--------

細雪はこの文章で始まる。私の場合、ときどき最初の数文を読んだだけで惹きつけられる小説があるけれど、細雪はその一つだった。登場人物が生き生きとし、かつとても上品で、その姿勢も文章も美しい。私は細雪を読んで着物を勉強したくなった(挫折したけど...着物はお金を使って着てなれないと理解できなそう)。

あとすぐに思い出すのは、有名な蛍狩りのシーン。

-----(引用)-----
それでも家を出た時分には人顔がぼんやり見分けられる程度であったが、蛍が出ると云う小川のほとりへ行き着いた頃から急激に夜が落ちて来て、......小川と云っても、畑の中にある溝の少し大きいくらいな平凡な川がひとすじ流れ、両岸には一面に芒のような草が長く生い茂っているのが、水が見えないくらい川面に覆いかぶさっていて、最初は一丁程先に土橋のあるのだけが分かっていたが、......蛍と云うものは人声や光るものを嫌うと云うことで、遠くから懐中電燈を照らさぬようにし、話声も立てぬようにして近づいたのであったが、直ぐ川のほとりへ来てもそれらしいものが見えないので、今日は出ないのでしょうかとひそひそ声で囁くと、いいえ、沢山出ています、此方へいらっしゃいと云われて、ずっと川の縁の叢の中へ這入り込んで見ると、ちょうどあたりが僅かに残る明るさから刻々と墨一色の暗さに移る微妙な時に、両岸の叢からすいすいと、すすきと同じような低い弧を描きつつ真ん中の川に向かって飛ぶのが見えた。...それが今迄見えなかったのは、草が丈高く伸びていたのと、その間から飛び立つ蛍が、上の方へ舞い上がらずに、水を慕って低く揺曳するせいであった。......が、その、真の闇になる寸刻前、落ち凹んだ川面から濃い暗闇が這い上がって来つつありながら、まだもやもやと近くの草の揺れ動くけはいが視覚に感じられる時に、遠く、遠く、川のつづく限り、幾筋とない線を引いて両側から入り乱れつつ点滅していた、幽鬼めいた蛍の火は、今も夢の中にまで尾を曳いているようで、眼をつぶってもありありと見える。
--------(新潮文庫下巻、pp.34-35)--------

長い引用になったが、その理由は、引用の一文目が長いからだ。文庫本の一ページ分近く一文が続いている。蛍が見えない間の描写が、まるでずっと蛍を探して静かに川岸を歩くように続く。そしてふっと視線が蛍の火を捉えて、その明滅に合わせたように、一文が短くなる。
文を写すとわかるのだけれど、絶妙に漢字とひらがなが使われている。ただ、書いて分かったのだが、やはりこの文章には縦書きがいいな。上から下に流れるように読む方が、この文章は合う気がする。あと、なんていうか、もっといい箇所があった気がする。

谷崎は卍で挫折してしまって、たくさんは読んでいない。でも本当にうまくて、書き写すために久しぶりに開いたらまた細雪を読み返したくなった。
この他には春琴抄が記憶にあるけれど、あれは細雪よりは学生には薦めづらいな...あれでびっくりしたポイントの一つは、え...子供できてるの...というかいっぱいいる...ということでした。

(追記:細雪は青空文庫で無料で読めます。無料のKindle版のリンクも貼っておきます)


細雪(上) (新潮文庫)

細雪(上) (新潮文庫)

  • 作者: 潤一郎, 谷崎
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2020/04/16
  • メディア: 文庫




細雪(中) (新潮文庫)

細雪(中) (新潮文庫)

  • 作者: 潤一郎, 谷崎
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2020/04/16
  • メディア: 文庫




細雪 (下) (新潮文庫)

細雪 (下) (新潮文庫)

  • 作者: 潤一郎, 谷崎
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2020/04/16
  • メディア: 文庫




百頭女 (河出文庫)

百頭女 (河出文庫)

  • 出版社/メーカー: 河出書房新社
  • 発売日: 1996/03/04
  • メディア: 文庫




春琴抄 (新潮文庫)

春琴抄 (新潮文庫)

  • 作者: 潤一郎, 谷崎
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2020/04/16
  • メディア: 文庫




細雪 01 上巻

細雪 01 上巻

  • 作者: 谷崎 潤一郎
  • 出版社/メーカー:
  • 発売日: 2016/08/25
  • メディア: Kindle版



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一日目 リルケ『若き詩人への手紙 若き女性への手紙』 [読書記録・日記]

さて、前の投稿で予告した、好きな文章を紹介する一日目はリルケの『若き詩人への手紙 若き女性への手紙』です。
このリルケの本は、前の記事で紹介したウルフの『デジタルで読む脳x紙の本で読む脳』で紹介されていて、思い出しました。ずっと前に読んで、すっかり忘れていましたが、読みたくなり、いまごく最初のあたりを読んでいます。

「あなたは御自分の詩がいいかどうかをお尋ねになる。あなたは私にお尋ねになる。前にはほかの人にお尋ねになった。あなたは雑誌に詩をお送りになる。ほかの詩と比べてごらんになる、そしてどこかの編集部があなたの御試作を返してきたからといって、自信をぐらつかせられる。では(私に忠言をお許し下さったわけですから)私がお願いしましょう、そんなことは一切おやめなさい。あなたは外へ眼を向けていらっしゃる。だが何よりも今、あなたのなさってはいけないことがそれなのです。誰もあなたに助言したり手助けしたりすることはできません、誰も。ただ一つの手段があるきりです。自らの内へおはいりなさい。あなたが書かずにいられない根拠を深くさぐってください。(新潮文庫、高安国世訳、p.14)」

この本は、若い詩人がリルケに自らの詩を送り、その感想を求めた手紙への返信で、その後も往復書簡が交わされる。リルケのこの書籍の美しく素敵なところは、とても愛に溢れているところだと思う。だから、この本から始めた。
厳しいことも言うのだけれど、基本的にとても相手を尊重していて、かつ、文章がとても美しい。
たとえば、リルケがある本をすすめる時には

「そこには理解し、把握し、経験されなかったものは何一つなく、追憶の微かにふるえる余響の中に認められなかったものは何一つないのです。どんな体験も決して無意味すぎはせず、どんな小さな出来事も運命のように拡がって行き、運命自体、一本々々の意図が際限もなくやさしい手によって織り込まれ、他の一つの糸のそばに置き並べられ、他の幾百の糸によって支えられ、になわれるようになる驚嘆すべき、ひろびろとした織物を見るように思われます(同書、p.22)」

という美しい比喩で伝えられる。リルケは彼が言うように「本を愛して」いて、そして同時にこの詩人を優しく慈しんでいて、その愛が伝わってくる。

最初の引用は、ウルフが指摘したオンラインでの読みとも関連するように思う。もちろん、だれかに「いいね」と言ってもらうのは嬉しいかもしれない(ちなみに私は特定の誰かにいいと言ってもらう方が多くの人にいいと言ってもらうよりはるかに嬉しい)。それに、もしかしたら、求められるところが天職ということもあるかもしれない。
けれど、リルケが言うのは「あなたは何に価値を置くのか」ということだと思う。そういうことを、ゆっくり考えてみるのも、良いと思う。これは森博嗣『夢の叶え方を知っていますか』で毎日自分の夢は何かを問いかけよう、というのと通じると感じる。もちろん、それで、いきなりこれが正解!ということは見つからないだろうが、そういうことを毎日少しずつ考えると、わりと世界は綺麗になる(見える)のではないか、と個人的には思う。

ちなみにこの投稿はゆるくながく続けることを目標にするので、同じ本が続くことや、紹介だけして何も感想が書かれないことなどもありの予定です。また、リルケも最初に指摘しているように、批評するつもりはないので、ゆるく感じるところを書いていこうと思います。


若き詩人への手紙・若き女性への手紙 (新潮文庫)

若き詩人への手紙・若き女性への手紙 (新潮文庫)

  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2020/04/15
  • メディア: 文庫




夢の叶え方を知っていますか? (朝日新書)

夢の叶え方を知っていますか? (朝日新書)

  • 作者: 森博嗣
  • 出版社/メーカー: 朝日新聞出版
  • 発売日: 2017/01/13
  • メディア: 新書



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類推とリテラシーとおすすめの文章の連投予告 [読書記録・日記]

最近、鈴木宏昭先生の『類似と思考』とメアリアン・ウルフ『デジタルで読む脳x紙の本で読む脳』を読みました。

『類似と思考』は、類推の思考における価値を論じ、最後に類推(の認知)の新しい理論的枠組みである「準抽象化を媒介とした類推」を提案する。また付録で他の理論との比較を行う。
ちょうど、少し前に西郷・田口『〈現実〉とは何か:数学・哲学から始まる世界像の転換』の書評を書いたこともあり、両書の“類似”(同じさ)が動的に生じる点に関連性を感じた点も楽しかった。本書は1996年出版の同タイトルの書籍の文庫化だけれど、かなり書き直されていて二冊とも欲しくなりました。
最初に驚いたのは、いま私の感覚では“類推”が思考の基盤をなしうる普遍的な認知という主張はごく自然だけれど、昔はそうではなかったのか...という点でした。類推がそんなに貶められていたなんて...。
最後まで読んで感じたのは、知識の表象の形式が、私の専門分野である文章理解分野でもそうだけれど、難しいということ。抽象化の形式も、この知識の表象の形式に依存する形になっていると感じて、抽象化とは何か、カテゴリーとは何か、という計算論的な定義が難しい。
また、よりメタ的には、普遍的すぎる感想だけれど、人間の作った概念によるモデル化や理論の正しさ、妥当さとはどのようなものなのか、どのように評価するのか、というのを改めて感じた。いまだと予測性だろうか。しかし、それはその概念の指す対象の“実在”を全く意味しないと私は思う。というか、概念(の指す先)が“実在”すると思うところが、過誤の始まりだと思う(『〈現実〉とは何か』で論じられたように)。これは、「ほらこれだよ」と手にとって見せられない認知科学や心理学の対象で顕著かもしれないが、実際は物理学でも事情は同じだと思う。

さて、類推が大事とわかったところで(その部分まったく書かなかったが)、『デジタルで読む脳x紙の本で読む脳』を読んだ。そうすると、やっと虐げられていた類推の価値が認められたと思いきや、デジタルで読む脳はうまくしないと“類推”ができなくなりつつある、と書いてある。かわいそうな類推...。
この本が主張していることは、紙の本で読むと、注意が散りにくいためゆっくりと深い読みがしやすくなり、類推や批判的思考が培われやすい。一方で、デジタルで読むと、広告やリンクなど様々に注意が飛びやすく、注意が持続しないので短い文章に適応し、検索すれば自分の欲しい意見が読めるので、“わかった気”になりやすく、類推や批判的思考を強化することが難しい。しかしデジタルで読む能力は、並列処理を可能にし、またディスレクシアなどの支援にも有効な可能性がある。よって、うまく紙とデジタルのバイリンガルの脳を作れるような教育が必要だ、ということ。
私は物語読書への熱中や忘我が一番興味のある研究対象なので、深い読み、忘我する読みがどんどん失われていくのは個人としても研究者としても寂しい。

この本で衝撃的なエピソードとして書かれているのは、ウルフ自身が、もしかして私もだんだん深い読みができなくなっているのでは?、と思い試したら実際にそうだったという話。著者は自分が昔好きで読んでいたヘッセの『ガラス玉演戯』を読もうとする。しかし
「読めなかったのです。その文体は冷酷なほど不可解に思えました。不必要に難しい単語と文のせいで、緻密(!)すぎるのです。そのヘビのような構文は意味を明らかにするのではなく、わかりにくくします。筋の展開のテンポはとてもありえません。(pp.136-137)」
となって、読めない。
彼女は20分間集中して読むことを2週間持続することで、「以前の読む自分にもどってきた(pp.139)」と感じられるようになった。オンラインで読む時に必要だったスピードや断続的な注意ではなく、本の筋の展開のペースで読み、難しい文章に没頭することができるように戻れるようになったと言う。
難しい文の構造はそれ自体効果を生むし、そういう効果でしか伝えられないものもある。でもウェブ上での文章は、tl;dr(too long didn't read)で長い・難しいと読まれない、という構えで書かれることが多い。だから、どんどんそういう効果やその効果を受け止める能力は失われてしまう。
そうすると、文章に深く感じることができなくなる。もっとも短いとされる物語「For sale: Baby shoes, never worn.(売ります。ベビーシューズ、未使用)(本書のp.60に紹介。ヘミングウェイの作ともされる)」に心を動かすこともできなくなる。

それは、私の研究にも関連する、現在物語の読書によって共感能力が高まるとか、信念が変わるとか、そういう研究の根幹も揺るがしてしまう。研究で明らかになる前に、失われてしまう。
それに、私はもともと読むのが遅いのだけれど、確かに無理にいっぱい論文を読もうとすると辛くて、そしてそういうのに慣れると小説を読むテンポも変わってしまいそうな感覚を持ったことがある(切り変えられるようになりたい)。

という本を読んで、そしてまた家に籠らないといけないが図書館も閉まったという状況を鑑みて、しばらくできるだけ毎日自分が好きな文章を紹介しようと思います。ゆっくり文章に浸れる時間を私自身持ちたい。長くなってきたので、それは次の投稿から。
なお、ウルフの本は、中に色々魅力的な小説やエッセイも紹介されていて、どれもとても読みたくなりました。大事なネタバレをいきなりしてくるという問題はありますが...。一般向けなのでご興味のある方はぜひ。


類似と思考 改訂版 (ちくま学芸文庫)

類似と思考 改訂版 (ちくま学芸文庫)

  • 作者: 鈴木 宏昭
  • 出版社/メーカー: 筑摩書房
  • 発売日: 2020/03/10
  • メディア: 文庫




デジタルで読む脳 X 紙の本で読む脳 :「深い読み」ができるバイリテラシー脳を育てる

デジタルで読む脳 X 紙の本で読む脳 :「深い読み」ができるバイリテラシー脳を育てる

  • 出版社/メーカー: インターシフト (合同出版)
  • 発売日: 2020/02/06
  • メディア: 単行本




〈現実〉とは何か (筑摩選書)

〈現実〉とは何か (筑摩選書)

  • 出版社/メーカー: 筑摩書房
  • 発売日: 2019/12/13
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)




ガラス玉演戯 (Fukkan.com)

ガラス玉演戯 (Fukkan.com)

  • 出版社/メーカー: 復刊ドットコム
  • 発売日: 2003/12/31
  • メディア: 単行本



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『〈現実〉とは何か:数学・哲学から始まる世界像の転換』の書評を認知科学に書きました(著者版公開) [読書記録・日記]

西郷・田口『〈現実〉とは何か:数学・哲学から始まる世界像の転換』の書評を学術雑誌『認知科学』に書きました。問題がなければ6月に発刊予定の認知科学に掲載予定です。著者版の公開はO.K.とのことなので、PsyArXivにPreprintsを置きました(書評:西郷甲矢人・田口茂(2019)『〈現実〉とは何か:数学・哲学から始まる世界像の転換』)。なお、6月に発刊後はJ-Stageで正式版がオープンになる予定です。

書評というよりも、『認知科学』の読者に紹介することを目的に、私なりに認知科学の活動と結びつけて書きました。また私は読書の研究者なので、その観点からも少し感想を書いています。
難しい書籍なのでかなり単純化している部分がありますが、これをきっかけに読んでくれる人が増えたら嬉しいです。

コロナウイルス対策で所属の早稲田もロックアウトしており、ときどき行くお店も閉まり、Zoomで話すのと対面はやっぱりちょっと違うなーと思いつつ、私は散歩や料理で気分転換しつつできるだけ淡々と仕事をしようと思います。
多くの人の健康と幸福が感染症からも経済的困難からも守られますように。


〈現実〉とは何か (筑摩選書)

〈現実〉とは何か (筑摩選書)

  • 出版社/メーカー: 筑摩書房
  • 発売日: 2019/12/13
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)



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社会的養育研究所 [読書記録・日記]

早稲田大学人間科学学術院の上鹿渡先生が社会的養育研究所を早稲田で立ち上げられました。
児童養護施設での養育から家庭養育(里親や養子縁組)への移行を支えるための研究所です。
私も賛同させていただき、もしかしたらお手伝いできることがあるかもと研究所員に加えていただきました。なお、早稲田大学内部の研究所で、私の主たる所属は変わりません。

ちなみに上鹿渡先生は、実は私の中学のときの家庭教師の先生で、早稲田で昨年偶然に二人とも新任教員で着任し、再開しました。驚きでした...。

コロナウイルスの事態では社会的に立場の弱い人たちが中長期的により大きな被害を受けやすいと思います。何かの力になれれば幸いです。
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