二十一日目 塚本邦雄『王朝百首』 [読書記録・日記]
昨日中途半端になってしまったので、二十一日目は引き続き塚本邦雄『王朝百首』です。
本当は、立夏になる前に春の歌を紹介したかったのだけれど間に合わず(というか昨日は節分扱いだからもう春じゃなかったんだろうか)、夏になってしまった。
昨日の歌は「春といへばなべてかすみやわたるらむ雲なき空の朧月夜は 小侍従」でした。
この本は王朝(平安朝)の百首を著者(塚本)が選び、それに自身で現代詩をつけている。現代詩は、和歌の訳ではない。たとえば、昨日の現代詩の方は「魂の匂ひ」という句で終わる。訳ではないけれど、元の歌の雰囲気を「魂の匂ひ」と言われると、ああ、としか言えない。元の歌にない五感を、しかも感じられない五感を書かれると、ああ、と思う。
はじめ、文庫版で購入したのだが、その文庫版のあとがきの橋本治の解説を読んで、箱入りの単行本を中古で改めて購入した(高くなかったけど古い)。単行本の方は、左側の一ページに和歌が書いてあり、それをめくると現代詩が右ページに書いてあり、そのあと二ページにわたって著者の解説というか和歌にまつわる話が書いてある。だから、和歌を読むときには現代詩は見えず、その裏表の関係がとても美しい。文庫とはだいぶ感じ方が違う。とはいえ、文庫も携帯にはよい。
----(引用)----
わびぬれば身をうきくさのねを絶えて誘う水あらばいなむとぞ思ふ 小野小町
行かう
ゆかうと
誘ひ水がささやく
ゆくな
行くなと
堰きとめるひとは
ゐない
いつかは
うきくさ根無し草
うかび
うつろふ
夜のみづの上の花
----(pp.107-108、文化出版局)----
小野小町の歌は、本当に美人しか読めないなあと思う。これはもう、誘う水が(たくさん)なければ歌えない。こういう歌を読んでいると美人になるのかもしれない。昔はそうだったのだろう。たぶん。
もっと春らしい歌もあるけれど(これは春じゃないのかな)、この歌がかっこいいのでこれにしました。
本当は、立夏になる前に春の歌を紹介したかったのだけれど間に合わず(というか昨日は節分扱いだからもう春じゃなかったんだろうか)、夏になってしまった。
昨日の歌は「春といへばなべてかすみやわたるらむ雲なき空の朧月夜は 小侍従」でした。
この本は王朝(平安朝)の百首を著者(塚本)が選び、それに自身で現代詩をつけている。現代詩は、和歌の訳ではない。たとえば、昨日の現代詩の方は「魂の匂ひ」という句で終わる。訳ではないけれど、元の歌の雰囲気を「魂の匂ひ」と言われると、ああ、としか言えない。元の歌にない五感を、しかも感じられない五感を書かれると、ああ、と思う。
はじめ、文庫版で購入したのだが、その文庫版のあとがきの橋本治の解説を読んで、箱入りの単行本を中古で改めて購入した(高くなかったけど古い)。単行本の方は、左側の一ページに和歌が書いてあり、それをめくると現代詩が右ページに書いてあり、そのあと二ページにわたって著者の解説というか和歌にまつわる話が書いてある。だから、和歌を読むときには現代詩は見えず、その裏表の関係がとても美しい。文庫とはだいぶ感じ方が違う。とはいえ、文庫も携帯にはよい。
----(引用)----
わびぬれば身をうきくさのねを絶えて誘う水あらばいなむとぞ思ふ 小野小町
行かう
ゆかうと
誘ひ水がささやく
ゆくな
行くなと
堰きとめるひとは
ゐない
いつかは
うきくさ根無し草
うかび
うつろふ
夜のみづの上の花
----(pp.107-108、文化出版局)----
小野小町の歌は、本当に美人しか読めないなあと思う。これはもう、誘う水が(たくさん)なければ歌えない。こういう歌を読んでいると美人になるのかもしれない。昔はそうだったのだろう。たぶん。
もっと春らしい歌もあるけれど(これは春じゃないのかな)、この歌がかっこいいのでこれにしました。