二十二日目 トルストイ『アンナ・カレーニナ』 [読書記録・日記]
二十二日目はトルストイの『アンナ・カレーニナ』。引用の下部分にはネタバレがあります。
---(引用)----
寝室からは、何かしゃべっているアンナの声が聞こえた。その声は明るく生き生きしていて、抑揚もきわめてはっきりしていた。カレーニンは寝室へ入り、ベッドに歩み寄った。彼女はこちらに顔を向けて寝ていた。頰は紅潮し、目は輝き、寝間着の袖口から突き出た小さな白い手は、毛布の端を丸めてもてあそんでいた。単に健康で生き生きしているばかりか、すこぶる上機嫌のように見えた。彼女は早口で朗々と、驚くほど正確で感情のこもった抑揚をつけてしゃべっていた。
「なぜってアレクセイは、これは夫のアレクセイのことだけれど(まったく、二人ともアレクセイなんて、なんと不思議なめぐり合わせでしょうね?)、アレクセイはきっとわたしの言うことを聞いてくれるから。わたしが忘れれば、あの人は許してくれるわ......でも、どうしてあの人は来てくれないのかしら?あの人はいい人よ。ただ自分がいい人だって知らないだけなの。ああ!せつなくてたまらないわ!どうかすぐにお水をちょうだい!あら、そんなことしたらあの子に、赤ちゃんに毒だわね!(後略)」
----(pp.442-443、『アンナ・カレーニナ2』光文社文庫)----
アンナ・カレーニナは不倫相手のヴロンスキーの子供を出産し、その産褥熱で死にかけるなか、夫に会う。これは夫が来ることを願って意識朦朧とするなかで話すシーン。見ているのは夫。
村上春樹の『ねむり』という短編作品があって、その中に主人公が『アンナ・カレーニナ』を、チョコを食べとブランデーを飲みながら夢中に読むシーンがある。それを読んで読みたくなり、ずっと昔にこの『アンナ・カレーニナ』を読んだ。そのときの記憶はあまりないのだけれど、うまいなあ、読みやすいと感じ、またそんなに思ったほど暗い話には感じなかった。『罪と罰』の方が辛かった。でもいまパラパラめくってどこか引用しようとすると、重苦しいシーンが多い。流れの中で読むのと、文章を抜き出すのとでは、感じ方がだいぶ違いそう。
---(引用)----
寝室からは、何かしゃべっているアンナの声が聞こえた。その声は明るく生き生きしていて、抑揚もきわめてはっきりしていた。カレーニンは寝室へ入り、ベッドに歩み寄った。彼女はこちらに顔を向けて寝ていた。頰は紅潮し、目は輝き、寝間着の袖口から突き出た小さな白い手は、毛布の端を丸めてもてあそんでいた。単に健康で生き生きしているばかりか、すこぶる上機嫌のように見えた。彼女は早口で朗々と、驚くほど正確で感情のこもった抑揚をつけてしゃべっていた。
「なぜってアレクセイは、これは夫のアレクセイのことだけれど(まったく、二人ともアレクセイなんて、なんと不思議なめぐり合わせでしょうね?)、アレクセイはきっとわたしの言うことを聞いてくれるから。わたしが忘れれば、あの人は許してくれるわ......でも、どうしてあの人は来てくれないのかしら?あの人はいい人よ。ただ自分がいい人だって知らないだけなの。ああ!せつなくてたまらないわ!どうかすぐにお水をちょうだい!あら、そんなことしたらあの子に、赤ちゃんに毒だわね!(後略)」
----(pp.442-443、『アンナ・カレーニナ2』光文社文庫)----
アンナ・カレーニナは不倫相手のヴロンスキーの子供を出産し、その産褥熱で死にかけるなか、夫に会う。これは夫が来ることを願って意識朦朧とするなかで話すシーン。見ているのは夫。
村上春樹の『ねむり』という短編作品があって、その中に主人公が『アンナ・カレーニナ』を、チョコを食べとブランデーを飲みながら夢中に読むシーンがある。それを読んで読みたくなり、ずっと昔にこの『アンナ・カレーニナ』を読んだ。そのときの記憶はあまりないのだけれど、うまいなあ、読みやすいと感じ、またそんなに思ったほど暗い話には感じなかった。『罪と罰』の方が辛かった。でもいまパラパラめくってどこか引用しようとすると、重苦しいシーンが多い。流れの中で読むのと、文章を抜き出すのとでは、感じ方がだいぶ違いそう。