SSブログ

四十日目 塚本邦雄『王朝百首』 [読書記録・日記]

四十日目は塚本邦雄『王朝百首』より初夏の歌。二十日目二十一日目にもこの本からとった。
前と同じように、和歌の後の詩は塚本邦雄のもの。

---(引用)----
待たぬ夜も待つ夜も聞きつほととぎす花たちばなの匂ふあたりは (大貳三位)

たちばなの香に盡きぬ
     思ひを絶ち
もはや待つこともない
     ほととぎす
人の残り香にまた蘇る
     こひごころ
空頼みそのひとこゑは
     ほととぎす
----(pp.151-152、文化出版局)----

5月が終わってしまうので、ほととぎすなど初夏の歌を。先週はずっと雨や曇りだったけれど、今日は晴れていた。
この歌は、夜の見えないところに、音や匂いがあるのが、好きなのだろうか。「待たぬ夜も待つ夜も」「聞きつほととぎす」「花たちばなの」のような繰り返しが好きなのだろうか。誰もいない、ほととぎすと花たちばなしかない感じなのが好きなのだろうか。理由はよくわからないけれど、好きな歌。

----(引用)----
飛ぶ蛍まことの戀にあらねども光ゆゆしきゆふやみの空 (馬内侍)

待てばまなつの
まやかしの戀
瞬くほたるよ
みをつくす
見ぬ世の愛に
むせぶこころ
叢濃紫宵のそら
----(pp.179-180)----

これは、「や」行が続く下の句がふわふわとひかる蛍の感じがして好きなのかも。気がついたら、どちらも闇の中の歌だった。蛍だから、もう夏かも。
塚本さんの詩の方は、頭が「まままみみむむ」になっていて、なんだか可愛い。叢濃紫宵は「むらごむらさき」というふりがなが振ってある。
わからなかったので調べたら「むらご」は斑濃なら、同じ色で濃紺にぼかして染め出したものとあり、紫村濃・紫斑濃(むらさきむらご)だと、「白地に紫を主体とするむらごの染めや襲(かさね)の色。女房の五衣の襲では上の三枚は紫、下の二枚は青の濃淡。これに紅の単(ひとえ)を着る。(コトバンク)」とあった。たぶん、前者の紫色がそらの場所によって濃淡がある様子のことだと思うけれど、襲の色だと思うと、夕暮れの紫・青・紅の中に蛍が飛び、美しい。



王朝百首 (1974年)

王朝百首 (1974年)

  • 作者: 塚本 邦雄
  • 出版社/メーカー: 文化出版局
  • 発売日: 2020/05/24
  • メディア: -



nice!(0)  コメント(0) 

三十九日目 レイ・ブラッドベリ『華氏451度』 [読書記録・日記]

三十九日目はレイ・ブラッドベリ『華氏451度』。昨日アップロードできなかったので、昨日の分。

----(引用)----
 彼も挨拶をかえし、ついで「いまはなんに夢中?」
「あいかわらずイカれてるわ。雨って気持いいから、こうやって降られながら歩いてるの」
「ぼくは好きじゃないね」
「やってみたら好きになるかもしれない」
「いや、むりだな」
 彼女はくちびるをなめた。「雨って、けっこうおいしいのよ」
「なにやってるんだって?あっちこっちへ行って、いろんなものを一度ずつ試しているのか?」
「二度やることもあるわ」少女は手にあるなにかを見ている。
「なに持ってるの?」
「これ今年最後のタンポポだと思うわ。こんな遅くなって芝生で見つかるなんて思わなかった。これであごの下をこすったらという話、聞いたことがあって?ほら」彼女は花をあごにあてて笑った。
「どういうこと?」
「花粉がついたら、恋をしてる証拠なんですって。ついた?」
モンターグとしては見るほかになかった。
----(p.38-39、ハヤカワ文庫(新訳版))----

----(引用)----
「みんな、わたしがどういうふうに時間をつぶしてるか知りたがってる。だから教えてやるのーーーときどきはただすわって物を考えてるって。なにを考えてるかは教えてやらない。そうすると、みんなあわてふためくわ。だけど、ときどきは話してやるの。こんなふうに頭をのけぞらせて、雨を口に入れるのが好きって。ワインとおなじよ。あなた試したことあって?」
----(p.41)----

----(引用)----
「(前略)あなたはほかの人たちと違ってる。何人か会ったことがあるので、知っているのよ。わたしが話すとき、わたしを見るでしょう。昨夜わたしが月の話をしたら、あなたは月を見たわ。ほかの人たちは決して見ないの。(後略)」
----(p.42)----

----(引用)----
「そして大衆の心をつかめばつかむほど、中身は単純化された」とベイティー。「むかし本を気に入った人びとは、数は少ないながら、ここ、そこ、どこにでもいた。みんなが違っていてもよかった。世の中は広々としていた。ところが、やがて世の中は、詮索する目、ぶつかりあう肘、ののしりあう口で込み合ってきた。人口は二倍、三倍、四倍に増えた。映画や、ラジオ、雑誌、本は、練り粉で作ったプディングみたいな大味なレベルにまで落ちた。わかるか?」(中略)
「(中略)二十世紀にはいると、フィルムの速度が速くなる。本は短くなる。圧縮される。ダイジェスト、タブロイド。いっさいがっさいがギャグやあっというオチに縮められてしまう」
----(p.92)-----

----(引用)----
「(前略)あの子は物事がどう起こるかではなく、なぜ起こるかを知りたがっていた。これは厄介なことになりかねない。いろいろなことに、なぜ、どうしてと疑問をもってばかりいると、しまいにはひどく不幸なことになる。気の毒だが、死んだほうがよかったんだ」
----(p.102)----

この本を初めて読んだ時のことを思い出せないのだけれど、そんなに、衝撃は受けなかった記憶がある。引用した部分も、まあ当たり前のことが書いてあるというように思った。だけれど、ここ数年で、こういうことはいまの社会では当たり前ではないのだな、というように思い直すようになった。というか、自分にとって当たり前でも、改めて書籍になっている価値があるものがある、ということに気が付いた。それは別の意味で、新しい価値だけれど。


華氏451度〔新訳版〕

華氏451度〔新訳版〕

  • 出版社/メーカー: 早川書房
  • 発売日: 2014/07/28
  • メディア: Kindle版



nice!(0)  コメント(0)