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三十一日目 アントニオ・タブッキ『インド夜想曲』 [読書記録・日記]

三十一日目はアントニオ・タブッキ『インド夜想曲』。

----(引用)----
彼女はわざとらしく驚いて見せて、僕を見つめた。「わたくしは持物をお部屋にわすれただけですの」落着いて彼女はそう言った。「それをとりに来ただけ」
「いずれ来るだろうとは思ってました」僕は言った。「でも、打ち明けた話、こんなに早く、いやこんなにおそくに来るとは思ってませんでした」
 女はますます驚いたように、僕を見つめたまま、呟いた。「どういう意味でしょう」
「あなたは泥棒でしょう」僕は言った。
----(p.61、白水社)----

----(引用)----
「もちろんあげるよ」僕は言った。「でも、僕が現在だれなのか、せめてそれだけは訊いておくれ」
 少年はもう一度、寛容にほほえんで、言った。「だって、それはあなたのマーヤーでしかないのに、知ってどうなるんですか」
----(p.95)

『インド夜想曲』は昨年か一昨年に人が褒めているのをみて買ってみたけれど、読んだときはそれほどと思わなかった。でもなんとなく、もっと歳をとったら、好きになるのかもしれない。ちなみに、インドはそんなに行きたいと思ったことはない。大きすぎる国はちょっと怖いのかも。


インド夜想曲 (白水Uブックス―海外小説の誘惑)

インド夜想曲 (白水Uブックス―海外小説の誘惑)

  • 出版社/メーカー: 白水社
  • 発売日: 1993/10/01
  • メディア: 新書



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三十日目 京極夏彦『塗仏の宴 宴の始末』 [読書記録・日記]

三十日目は京極夏彦『塗仏の宴 宴の始末』。

----(引用)----
「無罪でも有罪でも−−−夫婦であることに変わりはありません。罪を犯したから離縁するとか、犯してないから離縁しないとか−−−そんな馬鹿な話はありませんでしょう。そんな理由で添っている訳ではないですから−−命さえ−−取られなければ」
----(p.471、講談社)

『黒死館殺人事件』は図書館で借りて読んだだけなので(一つ目の大学院のあとに読んだけれどその時は欲しくならなかった)、日本探偵小説の三大奇書は二つ目で終わり。
『虚無への供物』の冒頭繋がりで『サロメ』にしようか迷ったけれど、中学の頃読んでいたということで京極夏彦の百鬼夜行シリーズに。私はこの塗仏の宴の上下は、シリーズの中ではどちらかというとそんなにすごく好き、というわけではなかった。他の作品の方が、風景が綺麗で印象に残っているものが多い。
ただ、この第1作目主人公の関口(ダメダメな人)の妻の雪絵さんのセリフは、かっこいいなと思って記憶に残っている。いま読むと、現実ではなかなかこうも行かないと思うけれど。


塗仏の宴 宴の始末 (講談社ノベルス)

塗仏の宴 宴の始末 (講談社ノベルス)

  • 作者: 京極 夏彦
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 1998/09/17
  • メディア: 新書



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二十九日目 中井秀夫『虚無への供物』 [読書記録・日記]

『ドグラ・マグラ』に引き続き、二十九日目は中井秀夫『虚無への供物』。

---(引用)----
「あたしの考えてるのは、こういうことよ。そりゃ昔の小説の名探偵ならね、犯人が好きなだけ殺人をしてしまってから、やおら神の如き名推理を働かすのが常道でしょうけれど、それはもう二十年も前のモードよ。あたしぐらいに良心的な探偵は、とても殺人まで待ってられないの。事件の起る前に関係者の状況と心理とをきき集めて、放っておけばこれこれの殺人が行われる筈だったという、未来の犯人と被害者と、その方法と動機まで詳しく指摘しちゃおうという試み......。“白の女王”のいいぐさじゃないけど、それで犯人が罪を犯さないならなおのこと結構だろうじゃありませんか。むつかしい仕事ですけど、氷沼家をとっこに、それをやってみせようというわけ。登場人物は少ないんだから、なんとか出来る筈よ。さあ、見てきただけのことを話してちょうだい」
----(p.41、講談社文庫)----

『ドグラ・マグラ』と『黒死館殺人事件』と共に日本探偵小説の三大奇書とよばれるらしい。
たしか、高校生くらいのときに読んで、面白かったけれど、やはり内容はほぼ忘れてしまった。疑われれる人など部分的なことと、雰囲気を覚えていた。今回改めてめくってみると、これは高校生ではわからないのではないか、という気がする。高校生の時は高校生の時で、面白かったのだろうけれど。セリフもすごくお洒落だ。もう一回、ゆっくり読みたい。
しかし、もうすぐこの文章紹介も一ヶ月になるけれど、本をめくるたびに、改めてゆっくり読みたくなる。次の一ヶ月はそういう月にしようか。休日に『虚無への供物』を色々忘れて一日中読んでいたい。つい、月曜日が講義だということもあるし、研究もやりたいことが多いし、何かしてしまうのだけれど。
そして、この本の装丁は、私は新装版よりも、1974年版の方がずっと好きだ。この表紙とセットで、この本を覚えているからかもしれない。そういう本は多い。書籍のイメージと表紙の色とかが絡みあったり。kindleではそういうのもなくなってしまうので、個人的にはまだ紙の方がずっと好きだ。もちろん、羊皮紙とかと比べたことはないのだけれど。
私が栞を挟んでいたページは、大鴉の引用の部分だった。そうか、日夏耿之介の訳が良いのか。高校生のときの私もこの詩が好きだったのだろうか。それとも、もしかして、実はもっとあと、大学くらいに読んだのか。大鴉のnevermoreを「またとなけめ」って訳すのはいいな。確かに、この人の本を、買おうか迷った気がする。どうしたんだろうか、よく思い出せない。記憶というのは結構消えていく。


虚無への供物 (講談社文庫)

虚無への供物 (講談社文庫)

  • 作者: 中井 英夫
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2020/05/13
  • メディア: 文庫



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二十八日目 夢野久作『ドグラ・マグラ』 [読書記録・日記]

二十八日目は夢野久作『ドグラ・マグラ』。

----(引用)----
 巻頭歌

胎児よ

胎児よ

何故踊る

母親の心がわかって

おそろしいのか
----(Kindle版および青空文庫、巻頭歌)----

『ドグラ・マグラ』の書籍がどこにも見当たらない。『百頭女』といい、絶対売らないはずの本がごっそりどっかに行ってる。うーん、どこに行ったんだろう。だいたいあるはずの場所は全部探したんだけれど。青空文庫でただで読めるし、対応してKindle版で無料で読めるので、興味のある人はぜひ。でも私は紙で読みたい。
Kindle 版で見ると、なぜか巻頭歌の最後の一文「おそろしいのか」が切れてしまう。文字サイズを小にすると見えるけれど。この一文がなかったら全然意味が変わってしまう。この歌は、一度読むとなかなか忘れられない。一方で、『ドグラ・マグラ』全体の話の筋はあまり覚えていない。
そして有名な冒頭。

----(引用)-----
 …………ブウウ――――――ンンン――――――ンンンン………………。
 私がウスウスと眼を覚ました時、こうした蜜蜂の唸るような音は、まだ、その弾力の深い余韻を、私の耳の穴の中にハッキリと引き残していた。
 それをジッと聞いているうちに、……今は真夜中だな……と直覚した。そうしてどこか近くでボンボン時計が鳴っているんだな……と思い思い、又もウトウトしているうちに、その蜜蜂のうなりのような余韻は、いつとなく次々に消え薄れて行って、そこいら中がヒッソリと静まり返ってしまった。
 私はフッと眼を開いた。
 かなり高い、白いペンキ塗の天井裏から、薄白い塵埃に覆われた裸の電球がタッタ一つブラ下がっている。その赤黄色くひかる硝子球の横腹に、大きな蝿が一匹止まっていて、死んだように凝然としている。その真下の固い、冷たい人造石の床の上に、私は大の字型に長くなって寝ているようである。
 ……おかしいな…………。
----(同上、冒頭)

ブウウ――――――ンンンが有名な冒頭。このあとも、記憶喪失になった主人公に、妹で殺された許嫁からの

----(引用)----
「……お兄さまお兄さまお兄さまお兄さまお兄さま……お隣りのお部屋に居らっしゃるお兄様……あたしです。妾あたしです。お兄様の許嫁いいなずけだった……貴方あなたの未来の妻でした妾……あたしです。あたしです。どうぞ……どうぞ今のお声をモウ一度聞かして……聞かして頂戴……聞かして……聞かしてエ――ッ……お兄様お兄様お兄様お兄様……おにいさまア――ッ……」
---(同上)----

という絶叫が続くので、とても読みたくなるけれど、本がどこにも見当たらない...。構想・執筆に10年以上かかって、1935年に刊行されたという。ここだけ読むとちょっとラノベみたいだけれど、1935年。以前読み返すと、何度でも発見があった。たしか、時々新聞記事調になったり視点が変わったり、なんだかフラクタルのように入れ子で、おどろおどろしいながら、綺麗な構造を見せられるような読後感だった気がする。でももう10年くらい読んでいない。amazonで見たら、私が持っていた文庫の表紙とは違うものになっている。
本当にあの本はどこに行ってしまったのだろうか。


ドグラ・マグラ

ドグラ・マグラ

  • 作者: 夢野 久作
  • 出版社/メーカー:
  • 発売日: 2012/10/02
  • メディア: Kindle版




ドグラ・マグラ(上) (角川文庫)

ドグラ・マグラ(上) (角川文庫)

  • 作者: 夢野 久作
  • 出版社/メーカー: 角川書店
  • 発売日: 1976/10/13
  • メディア: 文庫




百頭女 (河出文庫)

百頭女 (河出文庫)

  • 出版社/メーカー: 河出書房新社
  • 発売日: 1996/03/04
  • メディア: 文庫



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二十七日目 よしもとばなな『なんくるない』 [読書記録・日記]

二十七日目はよしもとばなな『なんくるない』。

----(引用)----
「あなたって、女の人はみ〜んな、絶対に自分を許すってわかってるんでしょう!」
と言ってやりたくなるような感じだった。自分がいい子であることに、何の疑いもなくまっすぐに近づいてきた。
 お姉さんはたまにやってきては、あら、しょうがないやつめ、迷惑だったら突き飛ばしてくださいな、と言いつつ、とても忙しそうだったので、何もしてくれなかった。そして、お詫びになのかなんなのか、おいしいおかずをちょっとずつ置いていってくれた。ワインもいつしかフルボトルが目の前に置かれていた。それをその男の子とふたりでしみじみ飲むことになった。
----(pp.150-151、「なんくるない」より、新潮文庫)

十九日目に紹介した吉本ばななのバリ島の話(『マリカのソファ/バリ夢日記』)がよかったので、今度は沖縄を舞台にしたよしもとばななの本を買ってみた。

今日はもともと別の本を紹介したかったのだけれど、その本が出てこない。うーん、大きな本棚がほしい。本棚をおける空間がほしい...。

『なんくるない』は表題作を含む四話が含まれた書籍。どの話も、観光客として沖縄を訪れる人が主人公。沖縄の魅力を描きつつ、神秘化しすぎないように注釈をつけながら話が進む。それでも、明るくて美味しそうで、ああ行きたいなと思う。自粛が解けたら、バリか沖縄、どちらから行こう。現実的にはどっちかだけだから、考えなくては。
吉本ばななは、さらっと読めるけれど、個人的には、すごくすき!というのとも違う。ただ『なんくるない』は、読んだタイミングがとてもよかったのか、とってもよかった。あと、この表紙の、ウィスット・ポンニミットさんの絵が前から結構好き。

----(引用)----
「あんまり深刻に考えちゃだめよ、あったかいとこに夏休み遊びに来てるくらいに思ってね。深刻さは伝染するからね。深刻になっていいことなんて一個もないよ。」
 おばさんは言って、私の前にこしかけて自分もマンゴージュースを飲んだ。
「甘くておいしいよ!」
 私もジュースを飲んだ。冷たくて甘くて、なんだか「いいこと」がいっぱいつまっているような、生き生きとした味がした。
----(p.45、「ちんぬくじゅうしい」より)----

南国のフルーツって、暑いところで食べるとほんとに美味しい。関東でも、何か季節のちゃんと美味しいものが食べたいな。



なんくるない (新潮文庫)

なんくるない (新潮文庫)

  • 作者: よしもと ばなな
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2007/05/29
  • メディア: 文庫



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二十六日目 J.D.サリンジャー『ナイン・ストーリーズ』 [読書記録・日記]

二十六日目はJ.D.サリンジャー『ナイン・ストーリーズ』から「バナナフィッシュにうってつけの日」。

----(引用)----
「放してはだめ」命令するようにシビルは言った「さあ、あたしを押さえてるのよ」
「カーペンターのお嬢ちゃん。万事まかせて安心してらっしゃい」青年はそう言った「きみはただ目を開けて、バナナフィッシュを見張ってれば、それでよろし。今日はバナナフィッシュにうってつけの日だから」
「一匹も見えない」と、シビル。
「それは無理もないな。彼らの習性はとっても変わってるんだ」彼はなおも浮袋を押して行った。水はまだ彼の胸まで届いていない。「彼らはね、実に悲劇的な生活を送るんだ」と、彼は言った「どんなことをやるか知ってる、シビル?」
----(p.29、新潮文庫)----

サリンジャーは『ライ麦畑でつかまえて』とこの『ナイン・ストーリーズ』しか読んだことがない。『ナイン・ストーリーズ』は自作短編集。
その中の最初の短編「バナナフィッシュにうってつけの日」は一度読むと、この海のシーンが忘れられなくなる。たった23ページの短編なのに、伏線がたくさんあって、読んでいくとはっとする。このシーモア(青年)の一家が出てくる小説が他にもあるようなので、それも読んでみたいな。そして、文章が格好いい。もちろん、翻訳なんだけれど。英語版も買ってみようかな。
今日は最初、夢野久作にしようかと思ったのだけど、明日から公開される初回講義の自己紹介でこのページを紹介してしまったので、万が一学生が見に来て最初の記事が夢野久作の狂った文章(しかもその前日は春琴抄)だと、さすがにちょっとよくないのでは...と思い、今日が暑かったので海の作品にしてみました。



ナイン・ストーリーズ (新潮文庫)

ナイン・ストーリーズ (新潮文庫)

  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 1974/12/24
  • メディア: 文庫




ナイン・ストーリーズ―Nine stories 【講談社英語文庫】

ナイン・ストーリーズ―Nine stories 【講談社英語文庫】

  • 出版社/メーカー: 講談社インターナショナル
  • 発売日: 1997/04/01
  • メディア: 文庫




ドグラ・マグラ

ドグラ・マグラ

  • 作者: 夢野 久作
  • 出版社/メーカー:
  • 発売日: 2012/10/02
  • メディア: Kindle版



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二十五日目 谷崎潤一郎『春琴抄』 [読書記録・日記]

二十五日目は谷崎潤一郎の『春琴抄』。引用部分がクライマックスでネタバレなので、気になる人は注意。

----(引用)----
佐助痛くはなかったかと春琴が云ったいいえ痛いことはござりませなんだ御師匠様の大難に比べましたら此れしきのことが何でござりましょうあの晩曲者が忍び入り辛き目をおさせ申したのを知らずに睡っておりましたのは返す返すも私の不調法毎夜お次の間に寝させて戴くのはこう云う時の用心でござりますのに此のような大事を惹き起こしお師匠様を苦しめて自分が無事でおりましては何としても心が済まず罰が当ってくれたらよいと存じまして何卒わたくしにも災難をお授け下さりませこうしていては申訳の道が立ちませぬ御霊様に祈願をかけ朝夕拝んでおりました効があって有難や望みが叶い今朝起きましたら此の通り両目が潰れておりました定めし神様も私の志を憐れみ願いを聞き届けて下すったのでござりましょうお師匠様お師匠様私にはお師匠様のお変りなされたお姿は見えませぬ今も見えておりますのは三十年来眼の底に沁みついたあのなつかしいお顔ばかりでござります何卒今迄通りお心置きのうお側に使って下さりませ俄盲目の悲しさには立ち居も儘ならず御用を勤めますのにもたどたどしゅうござりましょうがせめて御身の周りのお世話だけは人手を借りとうござりませぬと、春琴の顔のありかと思われる仄白い円光の射して来る方へ盲いた眼を向けるとよくも決心してくれました嬉しゅう思うぞえ、私は誰の恨みを受けて此ような目に遭うたのか知れぬがほんとうの心を打ち明けるなら今の姿を外の人には見られてもお前だけには見られとうないそれをようこそ察してくれました。
----(pp.81-82、新潮文庫)

長いけど、これが一文なのでしょうがない。しかしリズムがあって、とても美しい。
ここは本当にクライマックスの部分なので、ここだけ読んでもわからないけれど、美貌の盲目の春琴(お師匠様)は佐助を散々にいじめ抜いているような描写がここまで永遠と作品で続いており、その散々のためがあってのここになる。春琴が災難に遭って、そして佐助がそのために...という後の描写。
このシーンとこのあとの二人の関係を読むと、本当は春琴ではなくて、佐助がこの二人の関係の主導的な役割を担っていたのではと思ってしまう。春琴は休まらなかったのではないか...と思ったり。その転換ではっとさせられるのもすごいなと思う。
しかし本当に文章が美しい。無料でも読めるので、未読の人はぜひ。ただちょっと痛い描写があるので注意。


春琴抄 (新潮文庫)

春琴抄 (新潮文庫)

  • 作者: 潤一郎, 谷崎
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2020/05/09
  • メディア: 文庫




春琴抄

春琴抄

  • 作者: 谷崎 潤一郎
  • 出版社/メーカー:
  • 発売日: 2016/02/02
  • メディア: Kindle版



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二十四日目 村上春樹『ねむり』 [読書記録・日記]

二十四日目は村上春樹『ねむり』。今日はだいぶ眠いのだけどこんな眠い日に『ねむり』で大丈夫かな。

----(引用)----
私は本を置いて明かりを消し、台所でコーヒーを温めて飲んだ。頭の中に残っている小説の場面と、突然やってきた激しい空腹感のせいで、まともなことは何ひとつ考えられなかった。私の意識と肉体はどこかでずれたまま、固定してしまったようだった。私はパンを切り、バターとマスタードを塗り、チーズとレタスのサンドイッチを作った。そして流し台の前に立ったまま、それを食べた。そんなに激しくおなかが空くのは私としては珍しいことだった。息苦しいばかりに暴力的な空腹感だった。サンドイッチを食べ終えてもまだおなかが空いていたので、もうひとつ同じものを作って食べた。そして二杯目のコーヒーを飲んだ。
----(p.42、新潮社)----

『ねむり』は『TVピープル』に収録された『眠り』を改稿して出版されたもの。『ねむり』には絵がついている。私はどちらかというと、『TVピープル』の中の『眠り』の方が好きなのだけれど、ちょっとその本が深いところに仕舞われているので、今日は『ねむり』の方。
この小説は、金縛りにあったことを契機に主人公(主婦)が眠れなくなり、しかし全く体調に異変なく、むしろ若々しく集中力がまし、ひたすらブランデーとチョコとサンドイッチを食べながら読書するという話。サンドイッチやチョコレートがとても美味しそう。しかし金縛りのシーンは結構怖くて、引用できなかった。というか、村上春樹のこの『ねむり』の文章は、なんだか不吉な感じがしてあんまり写したくないな。そういう種類の文章があるのか。あるいは、私が眠いからか。
チョコレートのシーンにしておこう。

----(引用)----
 その白く変色した大昔のチョコレートのかけらを見ているうちに、無性にチョコレートが食べたくなった。私は昔と同じようにチョコレートを食べながら「アンナ・カレーニナ」を読みたかった。体じゅうの細胞という細胞がチョコレートを求めて息をひそめ、ぎゅっと強く収縮しているみたいに感じられた。
----(p.45)----


ねむり

ねむり

  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2010/11/30
  • メディア: ハードカバー




TVピープル (文春文庫)

TVピープル (文春文庫)

  • 作者: 村上 春樹
  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 1993/05/10
  • メディア: 文庫



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二十三日目 テッド・チャン『あなたの人生の物語』 [読書記録・日記]

二十三日目はテッド・チャンの『あなたの人生の物語』。

----(引用)----
このお話の結末がどんなふうになるかはわかってる。そのことはよくよく考えてるから。ほんの数年まえであるにすぎない、そのことの始まり、つまり軌道に船の群れが出現し、あちこちの草原におかしな人工物が出現したときのことも、よくよく考えてるし。
----(p.177、早川書房)----

短編小説。宇宙人とのファーストコンタクトもので、言語学者の主人公が、地球に来た宇宙人とコンタクトして彼らの言語を理解しようとする。言語は、その生物の思考の方式を反映していて、言語がわかってくると、彼らの“思考方式”が主人公にもわかってくる。人間は因果的に、彼らは目的的に物事を捉えている。物語では、その違いが物理法則の捉えかたから明らかになる。
そして、彼らの方式で読むと、上の文章(小説が始まったばかりの3ページ目の文章)の意味は、全く変わってしまう。どことなく訳がおかしい理由も。気づいたときに、主人公の子供の話が全然変わって感じられる。彼女の悲しみも愛も。
次の引用は作品の最後の部分。ここだけ読んでもネタバレにはならないけれど、一応注意。
なお、この小説はポスターが柿の種だと有名になった『メッセージ』として映画化されている。映画は(個人的には)全然違うものに感じられた。ただ、ところどころに入れられた子供の映像の意味に気づくときにどきっとさせられるのはよかったし、映像(宇宙人の文字とか宇宙人とか)はとてもよかった。

----(引用)----
 そもそものはじめから、わたしは自分の運命を知っていたし、当然のものとしてそのルートを選びもした。けれど、わたしがめざしているのは歓喜の極致なのか、それとも苦痛の極致なのか?わたしは最小と最大のどちらを成就するのだろうか?
 それらの疑問が浮かぶのは、あなたのおとうさんがこうたずねてくるとき。
「こどもはつくりたいかい?」
 で、わたしはほほえんで、こう答える。
「ええ」
 そして、わたしは身にまわされていた彼の両腕をほどき、わたしたちは手をつないで家のなかにはいって、愛を交わし、あなたをつくるの。
----(pp.277-278)----

----(英語の原文)----
From the beginning I knew my destination, and I chose my route accordingly. But am I working toward an extreme of joy, or of pain? Will I achieve a minimum, or a maximum?
These questions are in my mind when your father asks me, "Do you want to make a baby?" And I smile and answer, "Yes", and I unwrap his arms from around me, and we hold hands as we walk inside to make love, to make you.
----("Stories of Your Life and Others"より"Stories of Your Life". Kindle版なのでページ数は不明)----

(英語の原文的にも、意味的にも、歓喜の極値と苦痛の極値でも良い気もしたり。)


あなたの人生の物語 (ハヤカワ文庫SF)

あなたの人生の物語 (ハヤカワ文庫SF)

  • 出版社/メーカー: 早川書房
  • 発売日: 2003/09/30
  • メディア: 文庫




Stories of Your Life and Others

Stories of Your Life and Others

  • 作者: Chiang, Ted
  • 出版社/メーカー: Picador
  • 発売日: 2015/05/21
  • メディア: ペーパーバック



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二十二日目 トルストイ『アンナ・カレーニナ』 [読書記録・日記]

二十二日目はトルストイの『アンナ・カレーニナ』。引用の下部分にはネタバレがあります。

---(引用)----
寝室からは、何かしゃべっているアンナの声が聞こえた。その声は明るく生き生きしていて、抑揚もきわめてはっきりしていた。カレーニンは寝室へ入り、ベッドに歩み寄った。彼女はこちらに顔を向けて寝ていた。頰は紅潮し、目は輝き、寝間着の袖口から突き出た小さな白い手は、毛布の端を丸めてもてあそんでいた。単に健康で生き生きしているばかりか、すこぶる上機嫌のように見えた。彼女は早口で朗々と、驚くほど正確で感情のこもった抑揚をつけてしゃべっていた。
「なぜってアレクセイは、これは夫のアレクセイのことだけれど(まったく、二人ともアレクセイなんて、なんと不思議なめぐり合わせでしょうね?)、アレクセイはきっとわたしの言うことを聞いてくれるから。わたしが忘れれば、あの人は許してくれるわ......でも、どうしてあの人は来てくれないのかしら?あの人はいい人よ。ただ自分がいい人だって知らないだけなの。ああ!せつなくてたまらないわ!どうかすぐにお水をちょうだい!あら、そんなことしたらあの子に、赤ちゃんに毒だわね!(後略)」
----(pp.442-443、『アンナ・カレーニナ2』光文社文庫)----


アンナ・カレーニナは不倫相手のヴロンスキーの子供を出産し、その産褥熱で死にかけるなか、夫に会う。これは夫が来ることを願って意識朦朧とするなかで話すシーン。見ているのは夫。
村上春樹の『ねむり』という短編作品があって、その中に主人公が『アンナ・カレーニナ』を、チョコを食べとブランデーを飲みながら夢中に読むシーンがある。それを読んで読みたくなり、ずっと昔にこの『アンナ・カレーニナ』を読んだ。そのときの記憶はあまりないのだけれど、うまいなあ、読みやすいと感じ、またそんなに思ったほど暗い話には感じなかった。『罪と罰』の方が辛かった。でもいまパラパラめくってどこか引用しようとすると、重苦しいシーンが多い。流れの中で読むのと、文章を抜き出すのとでは、感じ方がだいぶ違いそう。


アンナ・カレーニナ 1 (光文社古典新訳文庫)

アンナ・カレーニナ 1 (光文社古典新訳文庫)

  • 出版社/メーカー: 光文社
  • 発売日: 2013/12/20
  • メディア: Kindle版




ねむり

ねむり

  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2010/11/30
  • メディア: ハードカバー



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